kiroku

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日々の記録

自己責任社会

韓国語と中国語は勉強するほど僅かにでも成果を感じるのに、英語は本当にモチベーションが…。関心度が違いすぎて…。納期のない仕事は一向に進まないし。もう何が何だか分からなくなって思考を整理しないと前に進めない感じ。ノートに日記を書かなくなってから数年。書いて吐くことが私には必要だなぁと思ったり。大学生の頃の日記を読み返すと、泣きながら書いていた文章ばかりで苦しくなったので閉じた。小学生の頃に「書き残すことは残るから止めた方が良い」と言われたことがあって、その理由が大人になれば解ると思っていたけど一生共感できないような気がしてる。残るからやめるのではなく、残すために書くんだから。傷ついたことも、幸せだったことも、全部残しておかないといけない。

 派遣前の研修に関する連絡はないまま、もう諦めた方が良いんじゃないかと思うことが増えた。連絡も無いまま待っているこの時間が無駄に思えて仕方ない。厚くなっていく社会と自分との壁。自分の価値や意味が間違いなく現在進行形で薄れている。全て自己責任の社会で、自分の為だけに時間を消費することの責任が重すぎる。時々、無力さに押しつぶされて消えたくなる。

 東京に住む弟は完全にリモートワークになったようで、「地元に帰省しようかな」と言うので「今は帰ってこないで」と言ってしまって後悔した。社会人1年目でこんな状況じゃ不安だろうに。私もそうだったくせに。環境の変化で毎日辛くて仕方なかったのに、その気持ちに寄り添ってあげる余裕もない自分に落ち込んだ。今日も東京は新規感染者が100人を超えたみたいで。テレビの速報にため息をつく自分がまるで他人事のように無責任な人間みたいで。

 娘がコロナウイルスに感染し、周囲からの誹謗中傷に耐え切れなくなった父親が自殺したという話を聞いた。他者を強く叱責することでしか大切な人を守れないのはとても貧しいことだねと言おうとしたけど、「差別されたことのない人間には分からない」と言う言葉を思い出して言うのをやめた。差別されたことなんてない・差別したことなんてないと本気で思っているうちが幸せなのかな。以前「多数派の人が寄り添う気持ちを持っても、結局あなたは多数派でしかない。」と何かで読んだことがあって。人種差別や性差別だって、寄り添いたい気持ちがあっても当事者でないなら限界があるんだろうなぁと思った。どんなに理解があっても当事者になったことのない他者からの善意なんて、当事者からしたら上辺でしかないのかもしれない。

責任を負えないなら中途半端につかみ続けないでと言ってやりたい。真綿で首を締めるような、締められているような感覚が続いてる。