kiroku

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日々の記録

嫌味と傷

「生きていて傷つきませんか。そんなに素直で真っ直ぐで、傷つきませんか。」こんなこと聞かれたの生まれて初めてだと思う。どういう意図で送ってきたのか分からなくて、傷つかない人がいると思っているんだろうか、と思ってしまった。返信する言葉を探しながら『とるにたらないものもの(江國香織)』を思い出した。

「生きていれば、物も人も傷つくのよ。避けられない。それより汚れを気にしたほうが合理的でしょう?傷は消せないけど汚れは消せるんだから」

「汚れは、落とす気になれば落とせるんだからほっといていいんだ。汚れることは避けられない。傷は避けられるんだから、注意深くなりなさい」

「生活していれば、どうしたって傷つくのよ。壁も床も、あなたも私も」 

父が付けた私の名前は「素直な心を持って彩りある人生を送ってほしい」という願いが込められているのだけれど、それなら、素直な人だと言われたことこそ素直に喜ぶべきなのかもしれない。けれど素直に喜べないのは「今の言葉、嫌味で言ってるんですけど気づいてますか?」と言われたから。あの時のことは暫く忘れられないと思う。何か、こう、脳にこびりついている感じの記憶になった。思い出そうとしなくても頭に残っている感じの記憶。本当にこういう(傷つけようという意思を持って人を傷つける)人がいるんだ…っていう衝撃。(あまりそういう人と出会うことなく温温と生きてきた。)相手が傷つくことを分かっていて傷つける、その感覚が私には理解できない。違和感を感じたら、離れて人間関係を築かないようにしてきたのに。だって私が幸せじゃない環境で生きるなんて私の時間の無駄でしょ?何の学びにもならないでしょう。

しかし私の何を見て真っ直ぐだと思ったんだろう。もしかして、これも嫌味だったりするんだろうか?(それ以降、その人が放つ言葉、過去に放った言葉の節々が嫌味だったのでは?と思ってしまうようになった。)

振り返ると、自分のことすら理解できていない気がして、どんなふうに生きてきたんだろうって思う。これまでに積み重ねてきたもの、消費してきたもの、何1つ形になっていないようで虚しくもなる。

最近はカフェラテばかり飲んでいるせいで、牛乳を毎日1リットル飲むという成長期のような習慣がついた。青汁とりんご酢で保たれている健康も、タイに行けば崩れていくんだろうな。りんご酢ってタイにもあるのかな。講座でサナダムシの症例を見てから外国産の生野菜が怖い(ていうかサナダムシが無理)。肌荒れしないと良いなぁ。台湾生活の肌荒れは何をしてもダメだったのに、日本に帰国したら秒で治った。肌荒れは心も殺す。