kiroku

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日々の記録

夏が過ぎて遠ざかるもの

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「他人は他人、私は私。」そうやって割り切って生きていくことは大人になっても少し難しい。私が拒否を示したことで誰かを傷つけて、その傷によって他人の何かを変えてしまうことがあるのかもしれないから。けれど拒否しなければ、自分がさらに傷つくのだから仕方ないでしょう。誰だって自分が何より大切でしょう。そう考えていながら私は自分より誰かを優先することがあって、それが本当に良くないとも思う。自分のために生きることもできない人間が誰かの役に立つなんて綺麗事ではないかと。地理的距離が近くなれば逃れられない人間関係が増える。向き合うことしか選択できなければ、時に自分を優先しなければ、また傷つく。大切な何かと共に暮らすためには精神的自立が必要不可欠だと思う。私が一人で遠く離れて生きることを望むのは、精神的自立を確立したいからなんだとも。

昨日から急に冷え込んで夏が通り過ぎたみたいに突然、感傷的な季節が来た。渡航準備をしながら23kgの壁と戦っている。少しずつ実感が湧いてきたような気もする。海外で生活した経験はあるけれど、おそらく1度も帰国しないであろう2年は初めてだから、なんとなく寂しい。寂しさを紛らわすために2年後の約束をいくつか作っておいた。それ以外の心配事といえば、暑い気候が好きじゃないってこと。できれば寒い国へ行きたかったってこと。それ以外は特にない。日本に帰国してからセンシティブになってしまった心を切り替えて強く生きていかねば。

タイ語のCDを1日中流して生活していると耳障りに感じるようになっている気がして良くない。最近は小学生の時に買ってもらったラジカセを引っ張り出してラジオを聞きながら眠っている。塾から帰宅して日付が変わる頃にラジオを聴きながら寝落ちしていた中学生の頃を思い出して、なんとなく、思い出したくなかった記憶が溢れて辛かった。深夜に無音の中で消費する時間をいつか恋しく思うのかもしれない。それにしても、タイ語の音は深夜には不向き。

1日があっという間に終わっていく。とても幸せな1日の終わり、不安になって泣いてしまうのをやめたい。今日が人生で最後の幸せな1日だったら…。この人がいて感じる幸せの終わりが今日だったら…。そんなことを考えて泣いてしまう。子どもの頃からずっと変わらない。これからもずっと、幸せな日の終わりには必ず泣くのかなぁ。寒くなってきて感傷的になっているのかも。肌触りのいい毛布の心地良さすら気持ちを煽る。時間が止まればいいのに。絶対に止められないものや変わらないものに想いを馳せても無駄だと言わないで欲しい。

書き殴って、打ち込んで、見直しもせず。