kiroku

kiroku

日々の記録

人生の放棄権

日が沈んでから昇るまでの時間、とくに何かをするわけじゃない深夜。音も光も消えて、時間を独り占めしているみたいで、この頃、消えてしまいたくて仕方のない日がある。人生を放棄したくて仕方のない日のこと。療養のために帰国していることを忘れてしまいそうな生活。コロナウイルスという単語が日常的になって「こんな未来なんか予想してなかった」と、去年も一昨年も言っていたな。

人生は何回目かの一時停止期間に入った。実感も無く、届くメッセージ、増えていく通知…。ついに耐えられなくなって通知を切った。こんな自分が嫌で仕方ない。気持ちをコントロールできない瞬間を過ぎて残った感情が、押し上げるように込み上げてくる。波が過ぎるのを待ったとて苦しかった過去と同じ時間は終わるまで続き、誰にも共有できないことが積み重なっていくだけで進展などしない。1日の終わりに悲しくなったり、不安になったり。いまだに歳を重ねるのが怖くて押しつぶされそうになる。何歳になっても生き急いでいる。変わらない。

誰かの優しさや努力によって用意された私の過去だということを忘れないようにしたい。個人的な悲しみや辛さを誰かにぶつけてはいけない。「0か100か」「白か黒か」「生きるか死ぬか」そういう考え方をやめたい。他人になら寛容になれるというのが、自分自身の無責任さを象徴している言葉だと思う。

何にも期待しないことを覚えよう。誰が悪いわけではないとき、自分を悪者にするのはやめよう。そういう運命だったと思うことにしよう。最初から決まっていたこと、自分で決めたこと。最初から用意されている結末に向かって生きているんだから。それが正解だと思うのに、不安を消せるのは自分だけだし、希望を捨てさせない諦めの悪さに嫌気もさす。真綿で首を絞めるようなことを繰り返し生きる。許してほしい。いつか読み返しているときにも幸せでいてほしい。これまでの選択や出来事を悲観しないで、幸せな自分でいてほしい。何がそんなに悲しくて、なぜ寂しいの。消えたいなんて言わないでねと思うよ。

泣いてしまうから何にも触れたくない。

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ」
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

「生きる / 谷川俊太郎