kiroku

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日々の記録

無題

待合室で自分の名前が呼ばれるのを待つ。周りの人を見て「みんな病気なんだ」って、まるで自分は病人ではないようなことを思う。そのうち名前が呼ばれて、診察室で簡単な検査をする。医者が「指を私の指に合わせてください」と言う。私は腕が震えてうまく出来なくて、泣いた。「大丈夫ですよ」と言う医者の優しさも突っぱねるような精神状態だった。持参した検査結果と紹介状を見ながら、医者が「〜という病気だと考えられます」と言う。「この病気で決定ですか」「治るんですか」聞きたいことはたくさんあったけど言葉が出てこなかった。ついに診察室で涙が止まらなくなり、この世の終わりのような、けれど終わらないことは解っているという絶望の時間が流れていた。診断書に”異常なし”と書いてくれなければタイに戻れないことを悟った医者が「この検査結果を見て、正常と書くことはできないんです…」と申し訳なさそうに言った。「大丈夫です」今度は私がそう言った。「大丈夫」タイにいたとき既に想像していたけれど、診察室で医者と向き合って2人、逃げ場がなくて泣くしかなかった。

余裕がない自分の中から湧き上がってくる言葉が酷くて自己嫌悪。「どうだった?」「なんの病気?」のメッセージも、心配や優しさからの言葉だと分かっているのに返信しないまま。診察が終わって、待合室で振り返ると母親が迎えにきてくれていて、また泣いて。どうして母の前で私はいつまでも、小学生みたいに感情を曝け出してしまうんだろう。

人生が全てダメになって、もう未来なんて無くていいのに。自分で立てた目標すら達成できないなら生きている意味ないのに。「消えたいね」「死にたいね」「それはダメだよ」「大したことない大丈夫」の無限ループ。一人になりたいのに寂しくて、ワガママな自分にイライラする。

あと何回、絶望感に押しつぶされそうになって、あと何回、死にたいって思うんだろう。「もう死にたいなぁ」って笑いながら軽く吐き出した冗談っぽい軽く聞こえる言葉も、本当は想像できないくらい辛いのかもしれない。

「君がどれだけ寄り添っても、結局、君はマジョリティなんだ。」という言葉が今また突き刺さる。たかが数十年の人生じゃ全てを経験することはできないけれど、それでも寄り添う姿勢を忘れてはいけないなと思いながら。自分が沈んでいては流されそうな人を救うことはできない。