kiroku

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日々の記録

死について

(全く暗くなく、悲しくなく、辛い話でもなく) 小学生の頃から今でもずっと、やんわりと、心のどこかに早く死にたいという気持ちがある。「死にたい→ボタン押す→死」みたいなイメージで。死にたいと思ったとき、そのタイミングで決断できたらいいのになと。「生きる」と同じ重さで「死ぬ」が在ってほしい。「生きる」権利と同じように「死ぬ」権利があってもいいんじゃないかと思う。

自由に死を選択できるという事実に救われる瞬間があるかもしれない。安定を気にせず夢を追いかけてみたり、何かに挑戦してみたりして、上手くいかなくても「死ぬこともできるし」と言ってみたり。安全装置のような、ため息の吐き溜めポケットのような、そんなものがあってもいいと思う。

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スペインでは安楽死が認められて1年間で160人が命を終えたらしい。多いのか少ないのか。それだけの人が自殺できず、けれど、死を求めていたのかと。ある番組で、安楽死に反対する人の意見として「生きたくても生きられない人がいる」とあったけど、私はそれを受け入れられなかった。同調圧力の強い日本的な意見。私の命なのに、なぜ他人に決められなければならないのか、なぜ生きられない他人のために私が生きることを求められるのか。生きたくても生きられない他人を見て「この人のためにも私は生きよう」と思えるなんて…幸せな人なんだろうな。

あなたは生きればいいじゃない。あなたと、あなたの大切な人と命を繋いでいけばいいじゃない。けれど私の命は私のもので、誰かのために在るわけじゃないよね。