kiroku

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日々の記録

意地悪で、無責任で、同類。


意地悪な人間に遭って、やっぱり死にたくなった話。

「これって、どうしたらいいんだっけ。」と女が呟いた後、男が「知らない」と意地悪そうに答えた。本当のことは分からない。知っていたかもしれないし、本当に知らなかったのかもしれない。ただ、意地悪な答え方だと思った。男は(本当は知っている)という雰囲気で「知らない」と答えたように見えた。彼女はすごく悲しそうな顔をして、言葉を飲み込んでから何も言わなかった。私はその場にいるだけの人間なのに泣きそうになって、絶対に泣くわけにいかなくて堪えた。そして考え続けている。なぜ人間は意地悪を言うのか。優越感に浸りたいのか、機嫌が悪かったのか、その場にいる誰かが気に入らない言動をしたのか。お前、何年人間やってんだよと言いたくなるような気を配ることもできない大人、生き続けただけの人間だった。

午前、スーパーで子どもが怒られている。怒られているというより、親の機嫌が悪くて八つ当たりされている、の方が近い。私は部外者のくせにまた苦しくなって、「やっぱり子どもなんて産むものじゃない」と思う。親側の人間が、親も人間だから疲れるし辛いんだと言う。私は親ではないけれど、親と同じ人間なので、それは分かる。けれど、親の機嫌次第で怒られたり、叩かれたりしている子どもを見て「子どもかわいい、産みたい、育てたい。」とは到底思えなくて。

午後、テレビで学費1000万円(年間)という学校が紹介されていた。子どもが「行きたい」と言ったとして、「うちは無理」と言う親の顔が浮かんで勝手に辛い。誰も彼もが望む道に進めるわけではないけれど、金銭だけが理由で進路を選択できないときの辛さを想像して嫌になった。

あゝきっと、私が子どもを産みたくないのは自信がないからだ。子どもを幸せにできる自信がないんだ。子どもは可愛いけれど、命を産み落とすことの責任は想像を絶するほど重い。そうしているうちに出産適齢期はすぎていくのだけど。

テレビで、貧困家庭に生まれた芸能人が「習い事もできなかった。進学や部活、いろいろなことを諦めざるを得なかった。」と話す。親は「子どもは自分の時間を家族に割いてくれた優しい子」と言った。それを聞いて、それは、その言葉は、あなた(親)が自分の選択を否定されたくないからでしょう?と思った。「優しい子」と言えば、親も子どもも過去を否定されないだろうから。だけど私には、親も子も、誰かが言う「がんばったね」「えらいね」の言葉で傷を癒し、自分の過去を肯定しているように見えて仕方なかった。

テレビはエンディングに向かう。綺麗に終わらせたいという気持ちが伝わってくるが、現実は深刻で、全く綺麗ではない。子どもが親の都合によって人生の選択肢を失うなんて。親の意思で生まれ、親の都合で決まっていく人生。もはや選択肢なんて無いかもしれない。育てられないのに産む親も良くないし、子どもの生活を保障できていない国が少子化対策やってる風なのも良くない。昔は、深く考えずに子どもをつくる人が多かったという。深く考えずに子どもをつくるなんて無責任だと思いながら、一方で、そういう人に産んでもらって、育ててもらって、自分は産まないというレールを歩き続けたいと思った週の終わり。