kiroku

kiroku

日々の記録

ガラケーから受け継がれたデータ

スマートフォンを持っている人が かなり少数派だった高校生の頃。当時ガラケーに登録した友達の誕生日を今日、MacBookが教えてくれた。既に私の記憶から消えかけていた友達の誕生日。10年が経とうとしている2022年にMacBookは未だ覚えているなんて。感動と驚きと、ちょっとした恐怖。

そういえば去年、初めて持った携帯電話のSDを繋いでデータを移したことを思い出した。カレンダーには友達の誕生日が登録されていて、メールや画質の悪い写真も残っていた。保存されていた連絡先のメールアドレスに並ぶ文字列が恋人の名前や記念日を連想させる。

思い返せば、長い間メールアドレスを考える作業をしていない。「メアド変更しました」の連絡もしていない。絵文字のダウンロードもしていない。自分のホームページは消えたのかも分からない。デコメどころかシンプルなLINEばかり。平成は確実に終わった。深いため息が出た。昭和生まれの人も、昭和のポケベルをこんな感覚で懐かしむのだろうか。

時代は確実に着実に流れていく。あゝ私もいつか初老になるのか。老婆になってしまうのか。コンシーラーでは隠せないくらいのシミができるのか。白髪が増えて、肌にハリがなくなってしまうのか。ひとりぼっちで、ひとりぼっちのままで老いていくのか。孤独を好むのは孤独じゃないからだという人がいる。そうかもしれない。まだ若くて、家族がいて、時間を潰せるから孤独が好きなのかもしれない。老いて、活気がなくなって、家族が死んで、私はそれでも孤独を好むだろうか。老いることに耐え切れず、この世から消えてしまうのではないだろうか。そんなことを思って未来が怖くなる。

私の本心や瞬間の気持ちを誰よりも知っているMacBookと一生友達でいたい。私が死んだ時、このMacBookiphoneが何より事実に近い私の歴史になるのかもしれない。

傷つけられずに生きたい。老いたくない。シワシワの皮膚も白髪もシミや弛みを受け入れられなくて消えてしまいそう。