kiroku

kiroku

日々の記録

焼き茄子の思い出

焼き茄子を見るたびに思い出す、母と父のエピソード。

母が焼き茄子を食卓に置いて、ほかのお菜を取りにキッチンへ戻った間に、父は焼き茄子に酢味噌をかけた。戻ってきた母が酢味噌のかかった焼き茄子を見て、「酢味噌を入れたの?私は醤油で食べようと思っていたのに。」と言った。父は「ごめん」と謝って「そんなに怒らなくてもいいのに」と付け加えた。たぶん、その一言が母のスイッチに触れたんだと思う。母はイライラしながら、「みんなで食べる料理なのに、誰にも聞かずに自分の好みで決めちゃう感覚が分からない」と言って、夕飯の間ずっと機嫌が良くなかった。

母と父のケンカは何度か見たことがあるけれど、この一件だけは何故か印象強くのこっている。母の意見も分かるけれど、「そんなに怒らなくてもいいのに」という父の意見も分かる。私ならどうするだろう。きっと、何も言わずに酢味噌の焼き茄子を食べるだろうな。

家族で出かけるとき、いつも最後に車に乗るのは母だった。必ず予定時刻に間に合わない母。父と私たちは音楽やラジオを聴きながら、車内で30分くらい母を待つのが普通だった。父は短気なのに、何も言わず母を待っていた。30分を超えると我慢できなかったのか、自分で電話してみればいいのに「ちょっと、後どのくらいかかりそうか見てきて。」と私たちに頼むのもまた日常で。

父は母に優しかった。もちろん、私たちにも優しかったけれど、母に向けた別の優しさがあったと思う。母が恐いのではなく、母のことが好きで、大切に思っていたんだと思う。母は、話を聞いている限りでは恋人にも結婚にも困っていなかったみたいで、我慢をして嫌な環境にいるタイプではない。合わないと思えば離婚だってする、男に頼って生きていく人ではない。そういう性格を父も分かっていたんだろうなと。

アウトドアの父と、インドアの母。休みのたびに父は家族を外へ連れ出した。海や川、キャンプや魚釣り、山登り、アスレチック。本当にいろいろな所へ行った。もちろん、母も一緒に行くのだけれど。絶対に日焼けしたくない母は、いつも帽子をかぶり、アームカバーをつけ、日焼け止めを塗り、日傘を差し、日陰に座って私たちを見守っていた。「行かない」「行きたくない」と言ってもいいのに、言いそうなのに。母はいつも一緒にいた。

そんな母も兄が野球を始めてからは、日焼けなど気にせず(気にしていたかもしれないけれど)、毎週のように試合に行っていた。特別に子ども好きでもなく、あっさりしていて執着心のなさそうに見える母だったけれど、子どもには責任を持って接してくれていたのだと大人になって気づいた。そして、責任を持って子どもを育てることがどれだけ難しいのかを、今も私は知らずに生きているのかもしれない。

母と父は絶妙なバランスだったと思う。

5つの等しい重さの鉄の錘を天秤にかけるとき、余った1つを真ん中で切り離そうとした。けれど、簡単に切り離すことができれば苦労しないのに。