kiroku

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日々の思考や出来事、記録。

夏バテ

夏バテ。生きているのが嫌で仕方ない午後だった。

人の気持ちなんて分からないことを理解しても無意味だやっぱり。

言っていることが頻繁に変わる人とは深く関わらずに生きてきたけれど、それは私が相手の言葉を理解できていないとか、汲み取れていないとか、それだけなのかもしれない。

今日の午後は気持ちが重くて何をするのも面倒でもういっそのこと死にたかった。

夏なのに気づけばあっという間に日が落ちて部屋が真っ暗になって

それなのに天井を眺めているだけの数十分だった。

いつもなら、そんな時間もったいないと思うだろうけど、どうせ死ぬんだしって。

そんな気持ちしか出てこなかった。

何もしたくない。

分からないけど涙が出てくる。

しんどい。

頭がポーッとする。

夏バテのせいにしよう。

全部なかったことにできたらいいけど、そんなことできないんだから。

誰か私を殺してとSNSで募っている人の気持ちも今なら少し理解できそう。

疲れた。

TOKYO2020 ?

ついに東京オリンピックが始まってしまった。安っぽい開会式だった。お金をかけている割に…という意味もあるし、やっていることと日本の現実がかけ離れていること、開催されるまでの過程も含めて。復興五輪はどこへ行ったのかな。同性婚夫婦別姓も合法化されていない国が多様性を掲げる矛盾。滑稽な姿にも程がある。レインボーのドレスも選手もただ利用されているみたいだった。 

 

kimono.piow.jp

悪夢で鬱

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雷と大雨のせいで昨夜は寝つきが悪くて。それなのに悪夢も重なって最悪だった。夢の中の叫び声が現実になって自分の叫び声で目が覚める。数ヶ月に1回、必ずこの夢を見る。呪われてるのかもしれない。

今日みたいな涼しい夏が続くなら、夏を喜んで受け入れるのに。フローリングの上で1日中転がりながら、毎日あっという間に終わっていくなとかを考えたりした。会いたい人には会えないのに、別に会いたくもない人に偶然会ったりして。行動規制のある生活ってとことん退屈。タオルケットに包まりながら、スマホの画面を長押しして届いたメッセージを見る。「数ヶ月前に出会ったばかりのよく分からない人から、写真だけ一方的に送られてきても困る。私は他人の近況なんて興味ない側の人間…。」とは言えず。返信に悩んでいる時間すらもったいなく感じた。めんどくさい。

大人になって「繋がりたくない人と繋がる以外の選択肢がない場面」が増えてから、SNSがストレッサーになりつつある。繋いでいるべき期間限定の関係も少なくないはずなのに。それから、朝起きて頭が正常に起動していない状態でLINEを返信しているのが結構怖い。

何もかも、全部今あるもの、いつまで続くんだろう。要らないもの、嫌いなもの、不快なもの、切れるものは切って生きたい。昔から何度も思うのは、これまでにたくさん幸せを受けてきたのだからこの時点で死にたいな、消えたいな、とかいうこと。これ以上生きるのは疲れるな、とか。そういうことを考えてる。中学生の頃から25歳で死にたいって言ってたのに。大切な人が生きているうちに、看取ってくれるうちに死ぬことそれ以上の幸せってこの世にあるの?

嫌味と傷

「生きていて傷つきませんか。そんなに素直で真っ直ぐで、傷つきませんか。」こんなこと聞かれたの生まれて初めてだと思う。どういう意図で送ってきたのか分からなくて、傷つかない人がいると思っているんだろうか、とお思ってしまった。返信する言葉を探しながら『とるにたらないものもの(江國香織)』を思い出した。

「生きていれば、物も人も傷つくのよ。避けられない。それより汚れを気にしたほうが合理的でしょう?傷は消せないけど汚れは消せるんだから」

「汚れは、落とす気になれば落とせるんだからほっといていいんだ。汚れることは避けられない。傷は避けられるんだから、注意深くなりなさい」

「生活していれば、どうしたって傷つくのよ。壁も床も、あなたも私も」

 

父が付けた私の名前は「素直な心を持って彩りある人生を送ってほしい」という願いが込められている。素直な人だと言われたことこそ素直に喜ぶべきなのかもしれない。けれど素直に喜べないのには理由がある。同じ人に「今の言葉、嫌味で言ってるんですけど気づいてますか?」と言われたことがあるから。あの時のことは暫く忘れられないんじゃないかなぁ。何か、こう、脳にこびりついている感じの記憶になった。思い出そうとしなくても頭に残っている感じの記憶。本当にこういう(傷つけようという意思を持って人を傷つける)人がいるんだ…っていう衝撃。相手が傷つくことを分かっていて傷つける、その感覚が私には理解できない。違和感を感じたら離れて人間関係を築かないようにしてきたのに。だって私が幸せじゃない環境で生きるなんて私の時間の無駄でしょ?何の学びにもならないでしょ。

しかし私の何を見て真っ直ぐだと思ったんだろう。もしかして、これも嫌味だったりするんだろうか?(それ以降、その人が放つ言葉、過去に放った言葉の節々が嫌味だったのでは?と思ってしまうようになった。)

いろいろなことを振り返ると、自分のことすら理解できていない気がして、どんなふうに生きてきたんだろうって思う。これまでに積み重ねてきたもの、消費してきたもの、何1つ形になっていないようで虚しくもなる。

最近はカフェラテばかり飲んでいるせいで、牛乳を毎日1リットル飲むという成長期のような習慣がついた。青汁とりんご酢で保たれている健康も、タイに行けば崩れていくんだろうなぁ。りんご酢ってタイにもあるのかな。講座でサナダムシの症例を見てから外国産の生野菜が怖い(ていうかサナダムシが無理)。肌荒れしないと良いなぁ。台湾生活の肌荒れは何をしてもダメだったのに、日本に帰国したら秒で治った。肌荒れは心も殺す。

深夜

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以下、繋がりも纏りもない文章。

疲れた。別に特別なことは何もないけど今日はなんか疲れてる。スマホの通知を全部切って、電気も消してカーテンも閉めた。もう長いことテレビを見ていないなぁ。最後に見たのいつだろう。朝作ったコーヒーはまだ半分も減っていないし、薄暗い天気のせいで頭も冴えないし、眠たい。ちょうど部屋の時計が壊れた。ちょうどって言っても昨日には壊れてた。今朝起きて時計を見たとき、時間が止まっているみたいで良かったのに。気付いたらちゃんと電池が取り替えられてた。LINEの通知バッジを見て消した。

昨夜は防災警報のサイレンが鳴り響いて眠れなかった。私が普通の夜を過ごしているときに正反対の夜を過ごしている人がいるんだと思うと、眠ることにすら罪悪感を感じてしまって。純粋みたいで、バカみたい。意味も無くnoteのアプリを開くと下書きに入れたままの記事がいくつかあって、そういえばTwitterにも下書きに入れたままの呟きが100以上も溜まっていることを思い出した。3年も4年も前に保存したものが積み重なっていく。Twitter、フォロワーに知っている人がいると呟きにくくなって、新しいアカウントを作るか今のアカウントを消すか悩む、の繰り返し。定期的にLINEの友達やトーク履歴を全部消去したくなったり、SNSのアカウントを0にしたくなったりする。一時の気分でそんなことしないけど。

疲れる。やめればいいのに疲れるなら、ね。「優しい」と言われるけど、他人に興味が無いから言葉にしないだけで心の一番底はすごく冷たい。騙しているみたいでまた少し罪悪感。一瞬でも無理だと思った人とは最低限にしか関わらないし、どれだけ仲良くなっても受け入れられない仕草が見えた時は繋がっていた糸を自分から切る。深入りされたくない。分かったように見透かしてくる人も好きじゃない。どれだけ長くいても一定の距離を保っていたい。

目が覚めて、天井から壁に視線を移したら壊れた時計が目について方位磁針が頭に浮かんだ。そしたら今度は方位磁石と方位磁針の違いが気になってしまって。調べると、方位磁針は方位磁石の種類の1つだってことが分かった。そんなこと学校で習ったのかなぁとか考えてたら急に長田弘さんの「人生は何でできている?二十四節気八十回とおおよそ一千個の満月と三万回のおやすみなさいそうして僅かな真実で 」という詩が浮かんできて。私は人生で何回 ”おやすみ” と言うのかなぁって、計算したりして。「人生で25,000回おやすみって言うとしたら、私はあと15,000回くらいのおやすみが残っているんだけど、全部幸せだったらいいなぁ。」と言ったら「そうだね、大切にしないといけないね。小さい頃から変わらないね、不思議な人。」と返ってきた。じゃあみんな普段どんなことを考えているの?私はそう言うことばっかり考えているんだけど。

梅雨が明けても暑いと言うくせに、梅雨が明けないとそれも嫌だというのは、わがままじゃないけどわがままみたいだよね。

まことに人生 一瞬の夢 ゴム風船の美しさかな 中原中也

部屋の整理をしようと思ったのに、別にしなくてもいい気がしてきてやめた。

最近は毎日、1日中、小説を読んで終わっていく。学生の頃はタイトルや装丁で読む本を決めることが多かったのに、最近は作者で決めてしまう。男性作家の本は暫く読んでいないような気がする。別に何も悪いことではないけれど。部屋の本棚は女性作家ばかりで、岩波文庫のシンプルさも好きだったのに新潮文庫のカラフルな背表紙がもっと好きになっている。

先日、ふと思い立って大学の授業でもらった近現代文学の年表の中から、読んだことのない作品を15冊ほど買ってきた。時間があるから10日あれば読み終わると思う。児童書のコーナーに行くと小学生の頃に読んだ本がたくさん並んでいてつい嬉しくなったり。「こまったさん・わかったさん」「ぞくぞく村」「怪談レストラン」「もりのー」「かいぞくポケット」シリーズ、図書館便りの新刊コーナーをチェックして図書館に予約しに行ってたなぁとか。6年間もらい続けた多読賞と図書カードを今でも大切に保管していることとか。古本コーナーに並んでいる最近発売されたばかりの本を見て「これは誰かのお気に入りになれなかった本かな」とか思ったり。そして私も本を数十冊、手放した。本棚が空くと心もスッと軽くなったような感じがすると同時に、心を占める文字の重さにギョッとする。それから、久しぶりに森鴎外の『雁』を読み直したりもした。本棚から出てきた卒業論文の計画書のコピーには、提出最終日の日付と ”日本語教育太宰治?悩ましい! "の走り書きが。懐かしい。大学生の時は太宰治の文章が好きだった。太宰治を選んでいたら私は今何をしてたんだろうか。

渡航日まで時間があって良かった。好きな言葉を書き溜めているルーズリーフを1枚ずつめくれる余裕、そんな余裕のある暮らしを幸せに思う。けれど時間はあればあるほど良いわけでもなくて、その分、考えることも多くなっていく。良いことばかりじゃない。そうやって1枚ずつルーズリーフをめくっているうちに、もう十分幸せなのに…と思えてきて、この瞬間に死んでもいいのにと思う。中学生の頃にメモした詩と同じ詩を数年後にもメモしていたり、高校生の頃にメモした詩が今では刺さらなかったり。変わっていくことが最近はすごく悲しくて仕方がない。 

 

レコードが無音を擦る冬の部屋君の理性は美しすぎる 鈴木晴香

だれからも愛されるという幻想の崩れてサイダーを振る 盛田志保子  

生理の貧困

gendai.ismedia.jp

www3.nhk.or.j


・夫や親の理解が得られず生理用品を購入できない(購入を許してもらえない)

・生理用品を購入できない(ナプキンの値段が高い)

・新聞は軽減税率の対象なのに、なぜ生理用品が軽減税率の対象ではないのか

・生理用品は生活必需品ではないのだから軽減税率の対象から外れて当然だ

こんなのばっかりなんだけど、性教育って何を教えているんだろう。性別ごとの踏み込まない曖昧な性教育の結果がこれだろうなぁ。実際に「生理用品は生活必需品ではない」と答えた男性が後のインタビューで「生理について正しい知識が無かった。尿のようにトイレに行くまで我慢できるものだと思っていたので生活必需品ではないと考えていた。」と言っていたのがまさにそれ。

学生の5人に1人が「経済的な理由で生理用品の購入が難しい」の割合の高さ。これに対して「布ナプキンを作ればいい」「月経カップを使えばいい」と勧める大人の想像力の無さ…。こういう人の存在が生理の貧困を改善させない。生理の症状の軽い女性が、重い女性の生理を認めないのと同じ。自分の体験が他人にも当然で全てだと信じて疑わない人たちの存在が重すぎる。

トイレに行く度にナプキンを交換すると1回(7日間)の生理でも絶対に1パックでは足りないし、化粧品なら値段の幅が広いから選べるけど、ナプキンって値段の幅も狭いし、安くても高い(生活必需品だと認められてないから軽減税率の対象外)。親の理解や経済的貧困によって生理用品を購入できない現実、あまりにも辛い。人の気持ちになぜ寄り添えないんだろう。寄り添う姿勢も見せないで我慢ばかり強いる大人が多くて心が疲れる。自分が生きてきた時代に、現代の子どもを重ねてしまう名前だけの大人にはなりたくない。

フランスでは全ての大学で生理用品の無料配布、イギリスやスコットランドでは女性に無料提供義務付け、ニュージーランドでは小中高で無料配布、オーストラリアやインド・カナダ・ケニア・イギリスでは生理用品は非課税。日本は今年3月に女性支援のための交付金が拡充されたけど、果たしてそれが本当に女性支援に正しく繋がるのかな。(完全に政府を信用していない)

性別にかかわらず、正しく理解することが生理の貧困を解決するために必要不可欠。” 女性の生きづらさ ”の上に成立している” 男性の生きやすさ ”の存在に気づくこと。生まれた瞬間から高い下駄を履かされて、履いている下駄の高さにすら気づけなくなってはいけない。今年のジェンダーギャップ(男女格差)指数156か国中120位…。絶望感