kiroku

kiroku

日々の記録

成長と一生、ブックオフ

ブックオフの110円コーナーに慣れてしまうと中古本の800円が高く感じてしまう。ブックオフマジック、以前も書いた気がする。ブックオフで110円の本がメルカリで800円のこともあるし、その逆もある。

 

祖母が年々小さくなっていく。ちょっと我儘になった気もする。赤ちゃんとまではいかないけれど、こどもみたいな時もある。思い立ったら即実行の祖母にイライラする、こともある。祖母は、母には見せない一面を私には見せることもある。そして私は、祖母の残された人生は長くはないことを思い知らされる。心の準備をしておきなさいと言わんばかりに、突きつけられる日常。ちょっとした物忘れ、体力の低下を感じる息遣い、理解力の低下……。これは成長ではなく、紛れもく老いで、しかし、老いに抗っているわけではない。

 

数年前まで赤ちゃんだった(はずの)いとこは、大きくなった。感覚で四頭身くらいのよちよち歩きだった頃を経て、私よりも背が高くなった。私が抱っこしたり、おんぶしたりしていたはずの子どもが、私より大きい。人間はこんなに成長するのかと、不思議でしかない。

 

前に何かの映画を見たとき、人間は水分のほかに、酸素、炭素、水素、窒素、カルシウム、リンで出来ていると言っていた。(気がする)

死んだら、死んだら、うまいこと自然の中に馴染むことができるのだろうか。私は、死んだら、元素と水分に還ることができるのだろうか。

私は、私の成長は?成長している途中なのか、もう止まったのか、成長できないのか。老いていくことが成長ではないなら、いつまでの何が成長なのか。成長の定義によるのか、とかを考えていた。

もう祖母は成長しない。子どもみたいな時もあるけど、子どもじゃない、成長はしない。植物が種子から花を咲かせ、いずれ枯れる。その成長過程に自分を重ねるなら、私は花を咲かせたのか、まだ咲かせてないのか、咲かせられる可能性があるのか、咲かせられそうにないのか、或いは枯れるのを待っているのか。それ次第で生き方が変わりそうじゃないかと思うこの頃。

 

どうせ死ぬのに本を読むとか、

どうせ死ぬのにブックオフで本を買うために働くとか、

人生は茶番の連続。