kiroku

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日々の記録

満員電車の折り合いと祖母。


途中に乗った夕方の電車は、田舎なりに混んでいて席が空いていない。杖をつく祖母を見て若い女性が席を譲ってくれた。次の駅で数人の老人が乗ってきた。若いおじさんやおばさんは動かない。加齢を前面に押し出して太々しく座っている。さっきまで起きていた若いおばさんは目を閉じていた。思わず冷たい視線を送ってしまいそうになる。理由があるとしても、老人が電車の真ん中で杖を頼りに踏ん張って立っているのに誰も席を譲らない。本当に座っている全員が席を譲れないのかよと疑ってしまう。席を譲らない30代っぽい目の前の女性にも理由があるなら仕方ないと思いながら、何もできず突っ立って駅を待った。

譲ってもらえずに踏ん張っている老人をかわいそうだと思い、譲らない若いおじさんやおばさんを蔑む。「祖母が座れたのだからそれで良いんだ」と言い聞かせて折り合いをつけた。こんな日常のバグに傷ついていられない。責めていられない。大切な人が守られたならそれでいいんだ。それでいい。本当は良くないのにダメだ。

 

久しぶりに、祖母と二人で外出をした。

腰や膝が痛く、長距離を歩けない祖母と腕を組んで街を歩く。駅のベンチに座っている時、今年初めての金木犀に遭遇して「秋がようやくだね」と話した。バスも電車も運よく空いていて、19駅先の目的地まで座ることができた。静かな電車の中で観光客の自撮りのシャッター音が響いて、何故か切なくなった。19駅も先を目指す私は考えることも失く、このまま長い間を電車に揺られていたいなと思っていた。向かい側の駅に、電車を待つ小学生の列が見えた。こちらの電車にも数人が乗り込んで、慣れた手つきでICカードをかざす。まだ低学年の、ランドセルが大きく感じられるような幼さだった。逞しい。

デパートの焼き芋屋さんに行くと20人ほどの列ができていた。「足りるかな」「買えるかな」と心配そうに待つ祖母、無事に焼き芋を手にして嬉しそうだった。カフェも行った。(眠れなくなるから)午後はカフェインを摂らないはずの祖母はソイラテを頼んだ。大きめのマグカップとソイラテの上に重ねられた泡の特別感。レーズンパイを「美味しい」と言いながら食べる祖母に、最近の何よりも幸せを感じながら、いつか祖母が目の前から居なくなってしまう日のことが頭を掠めて泣きそうだった。本屋に寄って認知症予防にと定期的に買っている「間違い探し」の代わりに「点つなぎ」の本と雑誌を買ってあげたら、レーズンパイやソイラテより喜んでくれた。仕事帰りの母と待ち合わせて食事を済ませて帰宅。帰宅してすぐに「点つなぎ」の1ページ目を完成させていた。「明日から楽しいな」と嬉しそうに言う姿が可愛くて。永遠に生きてくれないかな。私が死ぬまで側にいてくれないかな。