kiroku

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日々の記録

雑記


春、まだ梅雨には早いのに雨の日が続いている。日々は似た内容の繰り返しで、やんわりとした重い刺激ばかりが続く。同じような時間に起きて身支度をし、家を出る。電車に乗っても同じような顔ぶれ、変わらない日々。

通勤電車で隣の座席に清潔感の無いおじさんが来ると辛い。満員電車ですぐ後ろに清潔感の無いおじさんに立たれるのが辛い。この世に存在する清潔感の無いおじさん、ほぼ全員のことが嫌い。

面倒なことが何も起きませんようにと願いながら働き、退社すれば1日はほぼ終わる。また電車に揺られて帰宅する。生きるために働いているのか、働くために生きているのか分からない。どちらにせよ生きていたくないな。

ようやく来た休日はあっという間に終わり、また明日から仕事。責任を持って働くほどの賃金はもらってない。最小限で済ませたい。週の半分以上を労働に費やして、税金を納め、節約してまで生きている意味。将来に不安を抱いたまま自分らしく生きるなんて困難だ。

 

久しぶりに涙が止まらなくなった夜、弟がメッセージをくれた。不甲斐ない自分に呆れて、以前より行動力も無くなった。このままスッと消えてしまえたらなぁと思う。動画サイトで安楽死の映像を見た。大切な人が1人も残っていなければ、失う怖さも、消えることの不安もなくなって、自分が望むタイミングで死ねることに安心できるんだろうか。大人になって、自分が愛されていることを自覚していると、死ぬことを躊躇してしまう。大切な人を悲しませたくなくて、それが死へのストッパーになってしまう。

 

何もかもが不安で、起こる全ては自分の責任で、何一つ向いてなくて、過去は未来に貢献すらしない。27歳で死にたいと思っていた過去の私へ。死にたいと思っていても27では死ねないよ。

 

雨のせいで桜は散った。もういっそのこと毎日土砂降りでいいのにな。

いのち


去年、甥っ子がうまれた。日々、成長していく姿が愛おしく、存在は癒しそのもの。とにかく可愛くて可愛くて。たまらなく愛おしい。つい先日まで寝返りの練習していたはずなのに、気づけばハイハイをするようになっている。画面の向こうでニコニコ、ケラケラと声を出して笑う姿はずっと見ていられる。明日への活力……

母が過去の辛い時期を思い出して「子どもがいたから頑張れた」と言う、その気持ちが少し分かる。命って尊くて、子どもって可愛い。

 

あっという間に3月になり、もう新年度が始まろうとしている。早いような、遅いような。今の仕事が落ち着くであろう夏が過ぎたら、大学へ行くことにした。数年前に計画した人生設計とは大きく変わってしまったけれど、大学院進学まで遠回りしたけれど、日本語教育と離れるけれど、また勉強できることに感謝する。好きなことをする。30歳になる前にいろいろと出来ることを頑張りたい。

言葉にかえられないこと。

誰にも言えない過去は、自分で抱えていくしかなくて

時々ぐっと込み上がってきて苦しくなる。

私だけの出来事じゃないのに、自分1人の出来事みたいに思えてくる。

現実ではなかったのかもしれない、そんなふうに思いたくなる。

お前のせいだと言えればいいのに言えないし、

こんなことがあったと思い出みたいに話すこともできない。

1人で抱えていくしかない。

誰にも見つからないように、気づかれないように。

もう15年以上前のことなのに未だに夢に出てきて、

私はそのたびに自分の叫び声で目を覚ましたりする。

怖くて眠れないときもある。

似ている人を見かけたり、声を聞くだけでも動悸がするのに。

 

傷を癒せないまま大人になった。

もはや癒すには手遅れで、癒せるような傷ではない。

何も知らないフリをして傷ついたと言ってしまえば良かった。

こんなことがあったって言えばよかった。

もう、このまま生きていくしかなくなった。

誰にも言えないし、言ってはいけなくなった。

今でもとても汚く感じることがあって、気持ち悪いと思うことがあって、

本当に苦しくて、それでも、全部私だけのもの。

周りの人の過去にはそんな出来事無くて、私だけの過去でしかない。

 

 

日々

ここに、何度も、消えたいとかを書いているのに今も普通に生きてるのが不思議で仕方ない。毎日が、1日が、仕事で終わってしまう。単純に24時間から通勤や業務にかける時間として10時間を引けば、残り14時間あるじゃんと思うけど、そんなんじゃない。生きるために働いて、働いた分から税金を引かれて、こんなに日々を仕事に費やしてるのにという虚しさに落ち込む給料日。税金、高いわりに恩恵なくて生きることをやめたい。

異次元の少子化対策っていうから、どんなことするのかと関心を持っていたけれど、異次元でこの程度しかできないなら、もう希望無いなと絶望を味わった。やっぱり産まないだろうなぁ。日本で子ども産んで、その子どもが幸せな未来を生きているっていう想像が全く出来ない。政治も国も希望が無さすぎる。し、そういう政治家ほど長生きするの何なんだろ。祖母より年上のおじいさんが国会に通勤していると思うと…すごい。そして私はそんな大したことしてくれない老人のために給料を捧げてる、日々の貴重な時間を割いて働いて税金を払ってるのか…。鬱になりそう。国の奴隷みたい。

少子化対策には何十年も取り組まなかったくせに、花粉対策にはすぐに取り組むのなに。選挙の後に選挙番組を放送するテレビ、法案が可決されてから報道するメディア、何一つ信用できない国だよなぁと思って。男のため、老人のために生かされている感じがする。感じがするというか、そうだと思う。私が女だからこんなに日本が生きづらいのかな。

目を背けたい現実ばっかり。

年末がくる

今年もまた年末がくる。

去年の今頃は心もそれなりにギリギリで、それでもなんとか頑張っていた。

今年は去年より暖かくて、秋みたいな12月。

明日に起こるかもしれない最悪を想像して泣きたくなる夜は、相変わらずやってくる。

なにかを断つために始める何かが逃げとは限らないと思えるようになった。

失敗しても大丈夫。

ひとつずつやっていこう。

幸せをえらぶための

知人と久しぶりに食事をした。連絡をとったのも数年ぶりだった。何も変わっていないのに、距離は遠くなっている気がした。私が勝手に距離を置こうとしてるだけなんだろうけど。最近そういうことをしなかったから、久しぶりのこんな自分に戸惑った。楽しい時間だったし、会えてよかったと心から思った。それなのに、帰りの電車で「もう会わない人かもしれない。」ってぼんやり思った。私は私について聞かれると言いたくなくても隠せなくて、何もかもを知られたくもないのに断ることもできなくてめんどくさい。もう連絡がこないように電話番号を変えようかなとすら思った。自分と似ている人だから、自分を見ているみたいでキツくなる瞬間があるのかもしれない。

人と会うことはすごく大切だと思う。人と会って、話をして、その度に選択に悩む。いずれ無くなるものに時間を割くのは無駄だと思っていた時期もあったけれど、そうだとしても今は大切にしたい人がいる。これがいいのかもしれないと思う。道は一つじゃないし、今までも遠回りしてきたし、たどり着く場所はどこを通っても同じだろうから。

今日、話したこと、きっと想像している遠くまで伝わっているんだろうなぁ。もう離れよう。夢に見るほど濃い過去だけれど、いつまでも引きずっていてはいけない。

 

母の誕生日、ランチをして買い物をした。遠方に住む家族からもプレゼントが届いて嬉しそうな母を見ることができてよかった。24時間では足りない1日だった。来年もこんなふうに過ごせたらいいなぁ。お母さん、誕生日おめでとう。今日までのこと本当にありがとう。

今が幸せ。

やりたいことをやるために、やるべきことをやる。

春の別れ

 

長い間会えていなかった大切な人が今年の春に亡くなっていたことを知って言葉にできない気持ちを抱えている。

日常で思い出すこともなかったような想い出が急に湧き出して、過去の幸せに気づいて悲しくなっていく。本当に大切な人だったのに、ずっと会えていなくて、会いに行けなくて、気づいたらもうこの世にはいなくて、思い出を大切にするしかなくなった。

お墓参りに行っても、花を供えても、死んだという実感がない。ずっと一緒にいなかった分だけ、今もどこかにいるような気がしてる。当たり前に存在していると思って過ごしていた時間のせいで、死んだことへの理解が追いついていない。

そっか、人って死ぬんだよね。年齢とか関係なく死ぬんだよね。って当たり前のことを今更。

声も曖昧にしか思い出せない。笑顔とか、日常の一瞬とか、それくらいしか思い出せない。それもぼんやりしていて曖昧な思い出。思い出せないことに涙が出てきて悔しい。

 

死ぬ前に会いたかったと思う

会えていたとして何を話すか迷うだろうけど。

元気?とか体に気をつけてねとか、どんなふうに過ごしているのとか。

ただ生きているうちに、その姿を遠くからでも見ることができたらよかった。

 

亡くなったことをあっさりと受け入れたみたいに、そんな風に見えているかもしれないけど、本当は受け入れられなくて、すごく悲しくて、後悔ばかり込み上げている。生きている気がするくらいの感覚や距離感の方が失った時の辛さも優しい人かもしれない。