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日々の記録

タイ語

タイ語の勉強に使っているテキスト

 中級タイ語総合読本 タイの社会と文化を読む [ 斉藤スワニー ]

 

このテキストの(私的)良いところは

①タイ文字にアルファベット表記(読み)がない

アルファベット表記があると音読するときに頼ってしまうので、アルファベット表記がないテキストを探していました。(アルファベット表記がないテキストって意外と少ない…。)

 

②ちょうどいい文章

タイの社会や文化が反映された文章(全25課・文章と会話文)、難しすぎず、簡単すぎない。初級で習った文法や単語を復習しながら学ぶことができます。興味のある課(結婚・教育・気候など)を選んで、好きなところから学習できる。日本語訳、音声付。

 

③練習問題と文法解説

読解と翻訳(日→タイ、タイ→日)、解答付き。文法の解説と例文(複数)あり。

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なるべくタイ語に触れない日を作らないように、勉強したくない時でもタイのニュースや映画を見る(聞く)ようにしている(つもり)。何もやらないよりは絶対に良い…!ちなみに音声は付属CDからしか聞けないので不便。

実は数ヶ月間、中国語の勉強時間を減らしてタイ語に割いていたけれど、タイ渡航の目処は立たず。そろそろ中国語に時間を割こうかなと考えている。私はタイ語を勉強しなければならなくて勉強しているので、なかなかモチベーションを維持できないのが…。英・中・韓は自分で興味があって勉強してきたので苦痛じゃないけれど、タイ語のモチベーションが…。関係ないけど早く秋にならないかなぁ…。

『story of my life /私の若草物語』

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出演者の豪華さ…。昔の映像のより、こっちの方が断然好き。こんなに隅々まで共感できて大切にしたい映画はない。「結婚だけが女性の幸せではない」の後の「でも、すごく孤独なの」というセリフが詰まる。4姉妹、それぞれ異なるのに全員が自分と重なる不思議。私はエイミーに憧れるけれど共感してしまうのはジョー。どちらの気持ちもわかって、持ち合わせているけれど、どちらにもなれない。

エイミーの「結婚は女性にとって経済問題なの」という言葉があまりにも現実で刺さった。自信を持って夢を追いかけて自分らしく生きてきたのに、絵を諦めたあの瞬間のプツッと糸が切れた感じも。自分の人生なのだから自分を中心に置いて当然だということも。

全員が家族への愛を持っていて、それぞれが目標や夢を持っている。例えば望んでいたはずの「結婚」を選択しても、その先には悲しみや苦しみも当たり前のように存在している。望んだ幸せの中にも望まないものがある。全てを手放すのではなく、その時にできる自分にとって最良の選択をすることが人生なのかと考えたり。

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何かを選ぶために持ち続けられなかったものがあるのは、特別なことではない。タイミングが合わずに選べなかったものを、きっと多くの人が持っているはず。そうして築かれた過去を抱えて生きているはず。自分に見えていることは表面的なもので全てではない。相手の気持ちをいくら想像してみても、自分の想像と相手の真実がピッタリ重なり合うことは絶対にあり得ないのだと。生きていれば価値観は変わっていくけれど、欲しいと思ったとき、要らないと思ったとき、その全てのタイミングが合うわけではないね。そういう全てを抱えて共に生きていくんだね。という感想。

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I can't get over my disappointment at being a girl.

Do you miss him?
I miss everything.

Even if I had my own money, which I don't, it would belong to my husband the minute we were married. If we had children they would belong to him, not me. They would be his property. So don't sit there and tell me that marriage isn't an economic proposition, because it is. It may not be for you but it most certainly is for me. 

I may not always be right, but I am never wrong.

I don't believe I will ever marry. I'm happy as I am, and love my liberty too well to be in any hurry to give it up.
You will care for somebody, and you'll love him tremendously, and live and die for him. I know you will, it's your way, and you will and I'll watch.

They have minds and they have souls, as well as just hearts. And they’ve got ambition and they’ve got talent, as well as just beauty.And I’m so sick of people saying that love is just all a woman is fit for.I’m so sick of it.But I’m… I’m so lonely.

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私たちは道を歩く時、いつも小さかった頃の自分と一緒に歩いている。

私たちはいつも、自分たちがなりたかった自分をいまの自分に融合させている。

 

 

 

『500日のサマー』(500days of summer)

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テンポの良い映画。何回みてもやっぱり好き。たとえ出会いが運命だったとしても、恋愛観が違えば恋人にはなれないし、ある瞬間から運命の相手でもなくなる。「誰かの所有物になりたくない」「恋愛は面倒だ」って言いながら「運命」を感じて結婚するとか、自分のことを好きだった男と再会して「運命を感じたの」と結婚報告したり、あなたとは「運命じゃなかった」とあっさり言い放つ1ミリの未練もなさそうなところも好き。自分の気持ちに素直に生きることは時に人を振り回してしまうかもしれないけれど、そこに巻き込まれるかどうかは相手も自分の意思で選べるわけだから、と思ったり。何よりトムの単純さが丁度いい。

トムの住む街には40万の職場があり、ビルは9万1,000棟 、人口は380万人。

彼女と出会った理由は1つ「運命」だ。

恋人になるのは嫌なの。誰かの所有物になるのは最悪。自分自身でいたいの。恋愛関係は面倒だし傷つくのも嫌。  

「愛は絵空事よ」「君は間違えてる」「どう間違ってるの?」「愛を感じれば分かる」

「朝起きた時に君の気が変わっていないって思いたいんだ」「そんな約束はできない。誰にも。」

「ある日、目覚めて気づいたの」「何を」「あなたとはうまくいかないって。」

1年のうち、その殆どは平凡なものだ。始まって終わる。思い出に残るような事は起きない。ほとんどの日は人生に何も影響を与えない。

偶然、それは偶然以上の何でもない。

沈み落ちていく

社会的な問題を受け止めれば心が落ちて沈んでいく。それは今でも変わらないけれど、現実を知ることが重要で知らずにはいられない。見えないふりをして生きることもできるけれど、それじゃ何も変わらないし、悲しみを大きく育てながら生きていくことになるから。

災害、コロナ、アフガニスタン情勢、入管…。調べればいくらでも悲しいニュースが溢れ出てきて、やるせない。同じ時間この瞬間に、誰かが凡ゆる暴力によって死んでいく。日本国内でも、医療崩壊のなか行われている甲子園やパラリンピック。あれもこれも全て現実だということを受け止めきれず落ちていく沈んでいく。それぞれが大切なものを守るためには争いを避けることはできないのだろうか。医療従事者が命を守るためにフジロックには行かないでと呼びかけたけれど、音楽関係者は音楽を守るために開催した。観客もまた、大切な何かを守るためにフジロックへ行ったんだろうな。私には分からないけど。帰りたいけれどさまざまな理由で新潟へ帰れない人たちは、一体どんな気持ちでフジロックを受け止めたのだろうか。そんなことを考えて、全員が社会的弱者なのかもしれなくて、いちいち思いを馳せて寄り添っているつもりで沈んでいく。

甲子園もパラリンピックも開催できている国で修学旅行が中止になるというのだって同じ。誰かが守りたいもののために、誰かが犠牲になっていることを表しているのだと思う。まるで規模の小さい戦争みたいで不安になる。誰もが当事者で終わりが見えない混乱の中に生きるというのはこれほど辛いのかと今まさに身をもって学んでいる。

『二十歳の原点』

 「二十歳の原点 / 高野悦子」

高校1年生の夏休み前に読んでほしいと言われた本を、今日までに何度も読み返している。偶然にも同じ誕生日の作者に自分を重ね、現代を重ね、現実なのか過去なのか彷徨うくらい没頭することもある。少しずつ、確かに死に向かっていく文章も最後はスッと心が軽くなる感覚すらある。

この本を初めて読んだ16歳の時の日記に、私は「27歳くらいで死にたい」と書いていた。まだ27歳になっていないけど、今でも27歳で死んでもいいと思っている。孤独にならなければ人は死ねないのかもしれない。その目を通して見えているものなんて、全体の僅か一部ということに気づけずにいる。自分の感覚や経験でしか、想像できなくて話せないからこそ、学び続けなければならない。この本は、私みたいに感情移入してしまう人は読まない方がいいかもしれないと思ったりした。だんだん、本当に少しずつスッと消えたくなった。

ランボーはいった。「私の中に一人の他人がいる」と。私としては私の中に他人がいるというよりも私というものが統一体でなく、いろいろ分裂した私が無数に存在しているように思う。これが私だと思っている私は私でないかもしれない。人間はとかく都合のいいように 合理化して解釈する。とにかく真の自分だなんて相手はこうだなんて思いこんでいるものは、合理化によって作られた虚像に過ぎぬのかもしれない。

 何故私は自殺をしないのだろうか。権力と闘ったところで、しょせん空しい抵抗にすぎないのではないか。何故生きていくのだろうか。生に対してどんな未練があるというのか。死ねないのだ。どうして!生きることに何の価値があるというのだ。醜い、罪な恥ずべき動物たちが互いにうごめいているこの世界!何の未練があるというのだ。愛?愛なんて信じられぬ。男と女の肉体的結合の欲望をいかにもとりつくろった言葉にすぎぬ。しかし、私はやはり自殺をしないのだ。わからぬ。死ねぬのかもしれぬ。

人間は誰でも、独りで生きなければならないと同時に、みんなと生きなければならない。私は『みんなと生きる』ということが良くわからない。みんなが何を考えているのかを考えながら人と接しよう」

人はいつでも、誰でも、独りで生きていくものだと思うのに、みんなが何を考えているのかを考えながら人と接しようとは思えなくて、また孤独に自分の意思で入っていく感じ。私は、自殺はできないけれど、消えられるスイッチがあれば、1日迷って、翌朝には押している気がする。

連日の大雨

ここ数日は雨が続いていて、ネットから警報や災害の情報が入ってくる。大雨は災害につながるので良くないなと思うけれど、私は大雨が好き。朝起きて雨音が聞こえると目覚めが良くて気分も良い。小雨じゃ雨音が聞こえないから意味がない。土砂降りじゃないと私にとっては何の価値もない。雨の日が嬉しいというより雨音が嬉しくて窓を開けて雨を眺めるんだと思う。今日も気づいたら30分くらい経っていた。

以前「大雨が好きなんです」と言ったら「病んでるんですか(笑)」と返ってきたことがあって、それを何故かずっと覚えてる。雨が降るたびに思い出す。どうでもいいようなことだけど、全然どうでも良くない。こういう時「病んでるんですか(笑)」みたいに返されるのが私は好きじゃないんだと思う。そういうのを避けて生きてきたようにも思う。日常の些細なところに本来の姿は出るし、隠せているつもりでも他人から見れば隠せてすらいなかったりする。そしてつい「見えていますよ」と言いたくなったりして、でも巻き込まれたくないから、そこで終わり。

最近は時間に余裕があるから日常の些細な1コマに過去を重ねたり、思い出したりしてしまう。悪いことではないけれど別に幸せなことばかりでもない。余裕があると言いながらタイ語の勉強はしていないし、本ばかり読んで、洋書を翻訳して。好きなことだけの退屈な毎日。

昨夜は涼しかったから久しぶりに部屋の窓を全開にした。窓枠に腰掛けて、部屋を真っ暗にして、何も考えずに、ぼーっと外の灯りを眺めてた。中学生の頃、毎晩のように部屋の灯りを消して、お気に入りのラジオを流して、ただぼーっとしていたのと同じ。昔から定期的に泣きたくなることがあって、そういう時は悲しい音楽を聴きながら一晩中、気が済むまで泣く。何も変わっていない。私だけ立ち止まって、進んでいなくて、何も変わっていない。生きている意味もなくて、役割もなくて、心が衰弱していくことにも抗おうともしない。

明日も大雨だったらいいな。

『サマータイム』

 「サマータイム / 佐藤 多佳子」

空港の長い待ち時間に読んだ『サマータイム佐藤多佳子』がとても良かった。この本、小学生か中学生の頃に読んだことがあると思う。先日なんとなく古本屋で手に取って購入したのだけど、たぶん2回目な気がする。1回目に読んだとき、私はどんな気持ちでこの本を読み終えたんだろう。大人になった今それぞれの登場人物の気持ちが分かるようになって胸が締まっていく感覚がした。大人になって読むことにまた特別な意味がある。「ひりひりして、でも眩しい、あの夏」「友情じゃなく、もっと特別な何か。」誰でも持っているような特別な大切な記憶が詰まっていて、私も私自身の特別な夏を思い出して浸った。

特に好きなのが「ホワイト・ピアノ」。14歳って、自分ではもう大人だと思っているのに、周りの大人は大人扱いしてくれなくて、だけど心は大人へ向かっているから空回りしたりして。そうやってでも暮らしていけるのは周りの大人の寛容な心のおかげなのかも。

私たちが準備のために飛びまわっていると、センダ君が通りかかり、細い目を細めて、ほんとに嬉しそうに私を眺めた。ピューと口笛を吹いて、小さな女の子にするみたいに腰をつかまえて抱き上げようとするので、私は暴れた。

「離せっ」

こいつ、ひっぱたいてやろうか。

「マイ・フェイヴァリット・シングス」

センダくんは。まったくノンキ。

「なによッ」

私の喧嘩腰がわからないの?センダくんは英語の歌を口ずさんだ。

「歌だよ。知らない?『マイ・フェイヴァリット・シングス』—私のお気に入り—サウンド・オブ・ミュージック』でジュリー・アンドリュースが歌ったの。ガールズ、イン、ホワイト、ドレッシス、ウィズ、ブルー、サテン、サッシュズ—ブルーの飾り帯の白いドレスの女の子たちってね」

「それが、どうした?」

「佳奈ちゃんみたいじゃん。好きなんだよ。この歌。サラ・ヴォーンも『アフター・アワーズ』で歌ってるんだ」

 センダくんは優しくて、お人好しで、きっと素敵な人なんだけど、やんわりと大切な人やものが多すぎて、本当に失いたくないものを手放してしまいそうな人だから読んでいて苦しい。センダくんみたいな人と出会ったことがあって、佳奈とセンダくんのような関係でいたことがあったから尚更かもしれない。私にも特別な夏があって、それはずっと大切なまま変わらず。綺麗なままで残していたい。