kiroku

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日々の記録

お菓子は1つ

お菓子を2つ持って離さない子どもに、声を荒げて怒っている親。お菓子は1つというルールがあるのかもしれないけれど、そんなに声を荒げて怒らなくてもいいのに。

病院の待合室で聞こえた親子の会話。次の試合はレギュラーになれるかなと言う子どもに、あんたは無理かもねと言う親。

他人なのに、私の方が泣きたくなるよ。

私は親になったことがないから、育児の難しさは分からない。だけど、日常でそんな親子に遭遇するたびに辛くなる。自分たちの都合で、自分たちの意志で子どもを産んだくせにと思う。親だって人間だから叩いちゃうときもあるし、怒鳴ってしまうときもあると親の人が言うけれど、そんなの親が自分を正当化するための言い訳じゃん。自分の感情もコントロールできないで親になることを選択しちゃったあなたこそ子どもでは…と。

「子どもを産めば、あなたもそうなるかもしれない。」「子育ては綺麗事だけじゃできない。」そうかもしれない。だからこそ私は子どもを産まないと思う。子どもを産んだけれど想像と違いました、キャンセルしたいです。でキャンセルできないから。自分たちだけの決断で命を育むという責任はあまりにも重大だと思う。

悪いことをしているわけじゃないのだから、もっと温かい言葉で包んであげたらいいのに。まだ生まれて数年の人間に教育を利用して理不尽を押しつけてるみたいにみえる。親なら優しい言葉で守ってあげたらいいのに。自分の子どもを鋭い言葉で傷つけて一体なにをしたいんだろう。子どもの笑顔より、自分のストレス発散が優先みたいな大人も産んでしまえば親。

親ガチャって言葉は良くないかもしれないけど、意味だけ見れば間違ってないと思う。

 

つかれた。

3月、


花粉症、肌荒れ、乾燥で毎日が憂鬱。保湿しても直ぐに干からびる。つらい。

ジブリ作品『思い出のマーニー』で主人公の杏奈が、信子に「ふとっちょぶた」と言うシーンを夜中に思い出して、深夜に笑いが止まらなかった。酷い言葉、思っても言ってはいけない言葉、そう分かっていても笑ってしまう。「ふとっちょぶた」、一瞬、遠回しな言い方だと感じるくらいの柔らかさなのに、不意に直接的な言葉というのが刺さる。

信子、杏奈を気にかけてあげる良い子に見えるけど、正義感の強いお節介な人って時には煩わしかったり……。

私が信子なら自分の行いは後回しで、一方的に傷ついて、傷つけられたと思い込んで、それに気づかずに長い間引きずるかもしれない。そんなことが私にもあったかもしれない。いや、絶対あったと思う。自分が一方的に傷つけられたと思って今でも引きずっていること。本当は自分に問題や発端があったのに、相手の精一杯の抵抗に傷ついた、みたいなこと。傷ついて、刺したいわけじゃ無いけど、自分なりに精一杯優しく鋭く抵抗した結果、相手を深く傷つけてしまったこと。とかね。

先週、アパホテルから転落死した方のニュースを見た。自殺ではないと判断されたらしい。いつか思わぬところで死ぬものだろうけど、このブログに「消えたい」とか「長生きしたくない」って書きすぎているし、私が転落死したら自殺と思われるんだろうな。やだな。

四柱推命の結果には「家族との縁が薄い」「不安定な人生」「人を助けても報われない」とか書いてあって散々で、老後がますます心配になった。やっぱり長生きだけは勘弁だ。

出生数は80万を切ったらしい。政府は異次元の少子化対策をするらしい。けれど、「子どもの数が倍になれば予算も倍にできる」だと。希望は完全に断たれたな。自分が生きたいと思えない国で、子どもを産みたいとは思わないなぁ。何かを変えたいと思いながらも、若者が全員選挙に行ったとしても老人の票数には勝てないとかバグ。なんのための選挙なんだろう。

成長と一生、ブックオフ

ブックオフの110円コーナーに慣れてしまうと中古本の800円が高く感じてしまう。ブックオフマジック、以前も書いた気がする。ブックオフで110円の本がメルカリで800円のこともあるし、その逆もある。

 

祖母が年々小さくなっていく。ちょっと我儘になった気もする。赤ちゃんとまではいかないけれど、こどもみたいな時もある。思い立ったら即実行の祖母にイライラする、こともある。祖母は、母には見せない一面を私には見せることもある。そして私は、祖母の残された人生は長くはないことを思い知らされる。心の準備をしておきなさいと言わんばかりに、突きつけられる日常。ちょっとした物忘れ、体力の低下を感じる息遣い、理解力の低下……。これは成長ではなく、紛れもく老いで、しかし、老いに抗っているわけではない。

 

数年前まで赤ちゃんだった(はずの)いとこは、大きくなった。感覚で四頭身くらいのよちよち歩きだった頃を経て、私よりも背が高くなった。私が抱っこしたり、おんぶしたりしていたはずの子どもが、私より大きい。人間はこんなに成長するのかと、不思議でしかない。

 

前に何かの映画を見たとき、人間は水分のほかに、酸素、炭素、水素、窒素、カルシウム、リンで出来ていると言っていた。(気がする)

死んだら、死んだら、うまいこと自然の中に馴染むことができるのだろうか。私は、死んだら、元素と水分に還ることができるのだろうか。

私は、私の成長は?成長している途中なのか、もう止まったのか、成長できないのか。老いていくことが成長ではないなら、いつまでの何が成長なのか。成長の定義によるのか、とかを考えていた。

もう祖母は成長しない。子どもみたいな時もあるけど、子どもじゃない、成長はしない。植物が種子から花を咲かせ、いずれ枯れる。その成長過程に自分を重ねるなら、私は花を咲かせたのか、まだ咲かせてないのか、咲かせられる可能性があるのか、咲かせられそうにないのか、或いは枯れるのを待っているのか。それ次第で生き方が変わりそうじゃないかと思うこの頃。

 

どうせ死ぬのに本を読むとか、

どうせ死ぬのにブックオフで本を買うために働くとか、

人生は茶番の連続。

無題。

社会人になって初めて勤務中に泣いてしまった。何もないのに(何もないわけではないけれど)涙が出る。JRに乗りながら外を眺めていると、乗り心地が良くて目的地を越えたくなる。どこまで行くのか分からないけれど、止まるところまで行ってみようかなと思ってしまう。線路との境に柵のない駅、電車がホームに入る鐘の音が響く。何かを急かすような、心をかき混ぜられるような感覚になる。最近、通勤の満員電車に酔うようになった。息苦しくて、気持ち悪くなって、動悸がして、降りたくなる。自分の存在が、存在だけで誰かへ迷惑をかけているように感じる。夜は布団に入って3時間経っても眠れず。スマホを見なくても、早く寝ても、お風呂に浸かっても、寝つきが悪い。スマホを見るのも嫌になって、常にサイレントモードにするようになった。カラスがゴミ置き場を荒らしているのを横目に、何の感情も生まれず。

生きているのに。ちゃんと頑張らなきゃ。ちゃんと頑張る。

最強寒波

10年に一度の寒波に期待して、台風前夜の小学生みたいな夜を過ごした。仕事を終えて駅に向かうときには既に吹雪いていたから、明日は仕事も休みになるだろうなと思って夜更かしをした。朝、目覚ましより前にLINEの通知音に起こされて、予想ハズレの通常出勤の知らせ。

疲れた。通勤するだけで疲れた。売上より人件費の方が高かったと思う。誰かにとっては、開けることに意味があるんだろう。私には分からないけど。夜の電車はガラガラで、粉雪が降っているだけで切なくなる。隣のおじさんからお酒の匂いがして匂いだけで酔いそうなほど。遠くに座ってほしかった…。

夢占いは抜群に良かったのに、今日は良いことなんて無かった。期待しすぎた。お人よしな性格やめたい。人と繋がりを持たずに生きていくなんて無理なのかな。ひっそりと生きて、ひっそりと消えたい。

仕事、いつもミスしていないか不安。ダブルチェックされない仕事が怖くて仕方ない。上司は忙しくなると言葉が嫌味っぽくてキツい。よくそんな風に人に接することが出来るなと出勤の度に思う。「そういう人じゃなくても、上の立場にいくと、そうなってしまう。」らしい。私はそんな風になりたくないな…。給料は良くないのに副業禁止、給料は良くないのに責任は背負う。歳のせいか疲れが取れなくて、不規則な生活で太りそう。明日こそ電車で座りたい。

今年も1ヶ月終わったなんて

不意に重ねられる記憶の整理


去年の下書き、ずっと更新したかったけど書いてみると生々しくて、心がウッと締め付けられて載せられなかった。

「もうダメだ。全部ダメだ。3ヶ月の療養期間のうち、1ヶ月が隔離生活で潰れてしまう。病院に行けない。どうすればいいのか分からない。時間がない、余裕もない。みんなが優しくて親切で、それなのに私は自分の心配をしていて嫌になる。隔離施設の部屋でひとり泣いてる。入院してから毎日泣いてる。そして隔離3日目、検査でコロナ陽性。飛行機でうつったのかなぁ。予約していたホテルより綺麗そうだから良かったねと言い聞かせても、全くそんな気分になれなくて泣いてる。仕方ない。」

この続きを書いては消し、ポジティブに書き直して公開するか悩んで消し、の繰り返しだった。結局、この続きは載せられず消化のために公開することにした。

 

久しぶりにスマホをPCに繋ぐと保存されていない写真が勝手に更新されていった。去年、苦しかった時期に消したはずの写真が、どこからか見つけられて更新された。そして同じ頃に知人が教えてくれた詩のデータも出てきた。もうすっかり忘れていた思い出が蘇ってきて、また人生の選択を悩んでしまいそうで逃げたくなる。

毎日を仕事に追われて過ごすより、自分の時間軸で過ごしたいなと思う。暖かい部屋で寛ぎながら本を読んだり、季節に感動して浸ったりもしたい。大雨の日は窓から眺めていたいし、風の音を聞いて過ごしたい。週休3日だったら頑張れるかなぁ。在宅勤務なら叶うのかなぁ。何もかもを手にできるなんて、そんなわけないのに。幸せに生きるってこんなに難しいの。どうして大切な人を泣かせてしまうんだろう。

「咲きほとばしる」と言うべきか、

抑えても抑えても、抑えきれない春のエネルギーが、

真っ白な「光の噴水」となって、勢いよく湧き出していた。

 

雪柳は「雪」であり「花」だった。

「冬」であり「春」だった。

光の中に、春と冬が溶け込んでいた。

まるで、希望と苦悩が渾然一体になっている青春時代のように。

 

青春は、苦しい。

悩みばかりだ。

しかし、悩みがあるから、心は育つ。

うんと悩んだ日々こそ、一番不幸だと思った日こそ、

あとから振り返ると、一番かけがえのない日々だったとわかるものだ。

 

だから苦しみから逃げず、苦しみの真ん中を突っきって行くことだ。

それが森を抜ける近道だからだ。

 

寂しければ、その寂しさを大事にすることだ。

寂しさや悲しさを、遊びなんかで、ごまかすな。

使い捨てるな。

耐えて、耐えて、自分を育てる「こやし」にしていけ。

 

逃げたくなることもある。

でも、雪柳は動かない。

雨の日も、寒風の日も、じっと自分の場所で根を張って頑張っている。

 

頑張り抜いたから、みんなのほうから「きれいだねぇ」と来てくれる。

 

人間も、魂の根を張ったところが「自分の故郷」になる。

完全燃焼したところが、心が安らぐ「自分の居場所」になる。

 

私は、みんなにお願いした。

「お父さん、お母さんを大切に」

君たちが生まれる時、どんなに、お母さんがたいへんだったか。

あなたが大きくなるために、両親は、どんなに疲れても、眠れなくても、

大事に面倒を見てくれた。

苦しい仕事にも耐えて働いてくれた。

 

あなたが初めて声たてて笑った時、初めて歩いた時、

どんなに両親は幸せでいっぱいになったか。

 

病気になったとき、どんなに、おろおろと心配したか。

感謝できる人は幸せな人だ。

 

雪柳は太陽への感謝を忘れない。

 太陽は、いつも惜しみなく光を注いでくれた。

いつも、ありのままの自分を、そのまま受けとめ、光で包んでくれた。

だから今、雪柳は「太陽への恩返し」のように、明るく周囲を照らしている。

 

人間だって、花と同じように、光がいる。

人も、人から大事にされないと、心が枯れてしまう。

だから君が、みんなの太陽になれ。

 

人間だって、花と同じように、水がいる。

自分で自分を励ましたり、喜ばせたり、

心を生き生きさせないと、心は枯れてしまう。

 

自分で自分を励ませる人は、すてきな人だ。

人のつらさも、わかる人だ。

 

自分で自分を喜ばせる言葉を、強さを、賢さを!

落ち込んだ心を、よいしょと自分で持ち上げて!

自分で自分を好きになれないと、人だって愛せない。

 

記念撮影を終えて、私は雪柳に近づき、カメラを手にした。

天をさして咲く花もあれば、地を向いて微笑む花もあった。

それぞれの個性が集まって、光の束になっていた。

 

そして雪柳は、すべての力を、ただひとつのことに傾けていた。

 天から与えられた自分の生命を生ききること。

自分が種子として持っていたすべてを、表現しきること。

自分本来の姿へと開花すること。

 

それ以外、何も願わなかった。

ほかの花と自分を比べようなんて夢にも思わなかった。

人が自分をどう思うかなんて、どうでもよかった。

自分にできるかぎりのことをすること、それしか思わなかった。

 

今、だれもが個性、個性と簡単に言う。

「自分らしく生きる」と言う。

でも本当は、それは茨の道である。

みんなと同じようにしているほうが楽だからだ。

 

柳のようにしなやかな雪柳の枝に、無数の星が光っていた。

無数の宝石で飾られた王冠のようだった。

 

そう、自分の道を歩み抜いた人は、だれでも英雄だ。

「みんなが一等賞」なのだ。宝冠の人なのだ。

 

だから「自分にできないこと」ばかり数えて落ち込んだり、

文句言ってるなんて愚かだ。

「自分にも今、できること」が何かある。必ずある。

 

それを、やり抜く人が偉いのだ。その人が最後は勝つ。

 

雪柳は敏感だった。

だれかが通り過ぎただけの風にも揺れる。

あなたも、恥ずかしがり屋なら、そのままでいい。

無神経になり、デリカシーをなくすことが

「大人になる」ことじゃない。

 

コンクリートみたいに固い花はない。

花は、みんな柔らかい。初々しい。傷つきやすい。

人の思いに敏感なままの、その心を

一生咲かせ続ける人が、本当に「強い」人なのだ。

 

運命は外からやってくるんじゃない。

君の心の中で毎日、育っているのだ。

 

毎日がつまらない時。

それは自分が、つまらない人間になっているからかもしれない。

人生をむなしく感じる時。

それは自分が、からっぽの人間になっているからかもしれない。

人生に、うんざりした時。

人生のほうが君にうんざりしたと言っているのかもしれない。

 

人間は結局、自分自身にふさわしい人生しか生きられない。

 

だから、成績は中くらいでもいい、人間が大であればいい。

頭がいいとか悪いとか、成績だけで分かるものじゃないし、

生きる上で大したことではない。

 

ただ、自分が「不思議だ」と思う疑問を大事に追求することだ。

そのことを考えて、考えて、考え抜くことだ。

 

そして、いざという時、真理と正義のためなら、

自分を犠牲にできる人になれ。

そんな人が一人でも増えた分だけ、この世は美しくなる。

 

世界のどこかに、君にしかできない使命が、

君の来る日を待っている。

指折り数えて待っている。

待たれている君は、あなたは生きなければ! 

めぐりあう、その日のために!

 

輝くためには、燃えなければならない。

燃えるためには、悩みの薪がなければならない。

青春の悩みは即、光なのだ。

 

雪柳も、冬の間に積もった冷たい「雪」たちを、

枝から染み込ませて今、「花」に変えて

噴き出しているのだろうか。

中国では、その名も「噴雪花」という。            池田 大作  『雪柳 光の王冠』

 

素敵な音楽や詩も、出会った瞬間の自分の心次第で印象が変わってしまう。相手の意図がよく分からなくて、自分なりに解釈して、それできっと良いはずなのに良いと思えなくて。

かたちのないもの

今この瞬間、イタリアは6時で、アメリカは0時だってことを不思議に思う。それから、中国だって地図で見ると横に長いのに、西の端も東の端も時刻は同じらしい。それなら例えば、朝の5時と聞いて連想する空の色も東と西で違うのかな。誰かにとって真っ暗な夜の7時は、誰かにとってはまだ明るいのかな。時間って、言葉って何なんだろう。伝えるとか、価値観とかって何なんだろう。

未来がある約束なんてないのに、いつも未来のことを考えて不安になってしまう。歳を重ねて自分に残された未来が少ないと解れば、未来のことなんて考えずに済むのかな。それって幸せなのかな。

幸せになりたい。大切な人と一緒に暮らして、休日を満たすために働きたい。仕事のために生きるのではなくて、毎日ちゃんと熟睡したい。クリスマスや正月は休みたい。普通に暮らして、貯金もできるくらいの給料が欲しい。私が欲しいのはそういう幸せ。ドラマチックなのじゃなくていい、子どもの頃に当たり前だと思っていたような幸せ。大人になって気付けば困難な幸せになっていたみたい。

最近、早起きが苦手なんじゃなくて、ただ睡眠を何よりも優先したいだけだって気づいた。睡眠時間を確保できていないと生活も心も崩れてしまう。寒いのも好きじゃないから、本当は暖房ガンガンつけたいし、ずっとコタツで寝ていたいなぁ。テレビの音を流して、本に囲まれて、カフェラテを飲みながら、ずっと冬休みの中にいたいなぁ。毎日ちゃんと決まった時間に働いて、夜は自分の時間を確保したいし、理不尽に怒られたくない。人間関係の微妙な刺々しさを感じたくない。みんな仲良く生きようよ。優しい心で接しようよ。そんな職場あるないない…あるけど巡り会えない。

ひとりぼっちで生きていくくらいなら死んだ方がマシだと思う。誕生日もクリスマスも元旦も1人で過ごすなら、それなら、私は死んだ方がいい。親しい人だけ居てくれればそれでいいのに。

大体の人は優しいけれど、余裕が無いときの相手の苛立ちくらい、そんなこともあると受け流せるような人でありたい。他人の言葉に敏感になって傷つきたくない。