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日々の記録

日本の性犯罪、現実は空しい。

画像:https://www.bbc.co.uk/programmes/b0b8cfcj

 

www.bbc.co.uk

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伊藤詩織さんの勝訴の知らせを聞いて、ほっとした。この国では性犯罪の被害者は適切に守られていないように感じるから。たった330万という数字だけでも、その軽さが分かると思う。

このニュースを見て「これからセックスする時は事前に合意を示せる証拠をもらわなきゃね」「彼女に訴えられる可能性もあるってこと?」とかいう人もいて気持ち悪いなぁ。下着の種類が性行為への合意に何の関係があるのか全く分からないし、「ノースリーブを着ていたから合意している」意見も「ミニスカートをはいていたから合意している」意見も理解できない。本気でそう思っている男性がいるの?日本の法律では性犯罪の被害者は守られない。寧ろ傷つけて突き落とす。どうして逮捕直前に逮捕中止になるのか教えてほしい。誰の、どんな一言で、どうして中止になったのか、その経緯が知りたい。性犯罪のニュース、裁判の結果を聞く度に空しくなる。戦っても、晒されても、傷ついても、こういう結果しか得られないのかと。日本は性犯罪が少なく、安全な国、安心な国、そんなの嘘。性犯罪は法で守られない国だということを知っているから、被害に遭っても黙っているだけ。生まれて死ぬまでに、どれくらいの割合の女性が性犯罪に遭っているだろう。「何でもかんでもハラスメント」ではなく、相手が不快だと感じることをする人に問題があるだけ。当たり前のことなのに…。 少しでも絶望せず、僅かでも希望を持てるように、そんな未來を迎えられるように。

台湾の日差しは痛く、日本の日差しは鬱蒼。

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街の匂い、照りつける日差し、台北の穏やかな人混み。それは遠くに置いてきた後悔を1つずつ消していくような感じ。繰り返したいとは思わないけれど、振り返るとそれはとても幸せだったと感じるのは思い出の美化作業の途中だから。

人は誰でも後悔すると言うのは、大切なものや失いたくない思い出をどこかに置いてきてしまった時だと思う。もう二度と同じ感覚を手に入れることはできないけれど、持ち歩くには重すぎて、あらゆる場所に過去を置き去りにして生きている。自分で積み重ねてきたのに、気づけばそれが重くなって、その瞬間に荷物は置いたまま遠くへ行くように暮らしてきたんだと思う。たぶんそれはこれかも変わらない。決して綺麗なことばかりではないから、向き合うことは苦しみでもあるけれど。

まだ薄暗い高速道路をぶっ飛ばすタクシーの中から流れていく景色を見て、このまま時間が止まればいいのにと心から思った。帰国する時にタクシーの中で毎回感じる気持ち、この瞬間が好きで帰国しているような気もする。日本では感じることのできない速度でぶっ飛ばしてくれる運転手に感謝。そんな時間をあと何回過ごせるのか考えながら、台湾の朝を目に焼き付ける隣に座る彼を見て、自分の罪悪感が少し薄まったようにも感じた。

大切なものは多いほど良いらしい。何か1つを失っても寄りかかることが出来るから。でも、大切なものをいくつも抱えて生きるのは難しい。全てを大切にしているつもりでも、大切なその時に伝えられないと意味が無いから。それが出来ない人には誰かの時間を抱えている権利すらないのかもしれない。大切なものを手放して泣きながらでも1人で歩く方が合っている。

東京の匂いが醤油だとしたら、台湾は何だろう。空港からMRTに乗って台北駅へ行き、降りた瞬間の独特の匂いにも慣れて懐かしく思うなど。

異文化受容力

「コンビニで働く外国人の日本語を笑いにした番組」が放送された話。私も中国語を笑われたことがあるし、そういう人って何処にでもいるんだろうなと思って。笑われたくらいのことかもしれないけれど、タイミングが合えば心は簡単に崩れるのに。しかも、"笑われる辛さ"は突き刺さる。笑う側の人には分からないだろうけど。「嫌なら外国へ行かなければいい」とか「あなたの外国語が下手だから」とか「自分で選択したんだろ」とか言う話の通じない人も大勢いて触れるたびに疲れる。外国人の日本語を笑う人ほど、コンビニで働けるレベルの外国語を話せない人たちだったりするのに、その感覚が不思議でならない。想像力の欠如が生み出す差別、それも平気な顔で日常的に。無意識の差別、無意識というくらい日常に馴染んだ差別。差別的なことや異文化理解に於いて進行が遅いなと帰国するたびに感じるし、そういったことへの感度が低い。例えば、韓国のアイドルが日本で働く様子を見て「出稼ぎにきた」という人、外国人労働者や留学生に対して「外国人は出ていけ」という人。日本に根付いてしまっている、そういう風潮が痛い。間違いや失敗を平気で笑ったり、馬鹿にしたり。見て見ぬ振りをしているうちに、後戻りできなくなりそう。

刺激的な台湾、一時帰国。

一時帰国からの回台湾。

仕事を終えて即ウーバー手配。例の如く、深夜の高速道路をぶっ飛ばす運転手。私の発音で日本人だと気づいたらしく、日本旅行の思い出話をしてくれた。途中、「何があっても絶対に目を合わせるな」と言われた後の信号待ち、物乞いらしき人が窓を叩きにきたり、右手に謎の白い粉を持っている人が覗き込んできたりして変な緊張感に包まれた。バス乗り場に着くと日本人観光客が数人。音楽を流す人、遠慮のない声量のおしゃべり、運転手の急ブレーキ、大雨。「ここはまだ台湾だな」って、そんな感じ。それでも1メートルでも日本に近づいているのが嬉しくて浮かれつつ、空港でウン十万円分を換金して札束を数えながら飛行機を待った。

そしてここからが本当の恐怖の始まり。

搭乗手続きをするためにカウンターへ向かうと、受付のお姉さんに日本語で「あなたを調べます。ビザを調べます。」と言われ待機に。ここまでは笑っていられたけれど、個室へ連行されてからは人生終わったと思った。台湾に来てから、ここには書けないようなことがありすぎて、ついに逮捕されるのかと思いプチパニック。「日本へ帰れないかも」「不法滞在かも」「台湾で逮捕かも」と早朝に母へ鬼のLINE。社会的地位の高そうな男性が出てきて「勤務先へ電話して」って、電話するのはいいけど早朝5時…。それにしても「中国語できる?」と聞かれた時の思考回路は人生最速だったと思う。(「中国語分からないって言った方がいいかな、でも就労ビザ持ってるのに中国語話せないって無理があるかな、ちょっと分かるくらいって言うのがいいかな」みたいな。)そして時間が過ぎ、無事に疑いが晴れて出国できた。お姉さんと社会的地位の高そうな男性が「ごめんね、問題なかったよ。良い休暇を!」と言ってお見送りしてくれた。いい経験をした。ラッキーだな私。ここぞという時の運だけはある。

休暇を終えて台湾に帰国。台湾の自宅に着くまでに日本の自宅から10時間。疲労困憊。台北ではお金を出せば手に入らないものは無い。もう当分は日本に帰国しなくていいやと思う。来年こそは引っ越したい。

いつか何もかも全部話したいけれど、話せないようなことがありすぎる。私が持っていたステレオタイプの問題だと思うけれど、中国生活より台湾生活の方が刺激的。

「日本帰りたい」は心の支え

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同期の先生も優しい先輩も辞めちゃって心が瀕死でも人は生きていける。だいたい部屋の灯りが蛍光灯1本の生活なんて変だよね。こんな部屋にいるから死んでいくんだよ!と文句を言えるくらいには生き返った。新しい先生が来た喜びについて考えると、黒い部分がとめどなく溢れてきそうで考えないようにしてる。面白くて親切で一生懸命で、一回り以上年上なのに対等に接してくれることが嬉しくて嬉しくて嬉しい。22時過ぎに教室を出て帰宅して、23時頃に教室の前を通るとまだ電気がついていて新人の先生が残っているのを見て、私も最初のころ毎朝ベランダを通るたびに屋上から飛び降りるか悩む時間があったことを思い出した。同期は頑張りすぎて辞めちゃったし。

外国で1人で生活することは簡単じゃないなと思う。周りに日本人がいるか、困った時に頼れる人がいるかで相当違うんだろうなとも思う。知っている人もいないし、中国語も下手なのに、ほんとによく来たよな私。再来月くらいに一時帰国できることが命綱になって、なんとか生き延びられている。模擬で先輩(松本先生)が丁寧にフィードバックしてくれて泣きそうだった。心は嬉しくて泣いていた。走り書きのメモ、きっと一生大切にする。先のことを考えようとしても今に精いっぱいで無理。授業をしている時、学習者と話している時が一番幸せ。「日本帰りたいな」と思っている時間が何より良いように思う。本当に帰るのではなくて「日本に帰りたいな」って思っているだけの時が。

★最近の食事(ほぼ毎日一緒)

朝:通勤途中のセブンで買う ヨーグルト・パン

昼:いつもサービスしてくれる 高カロリー素食弁当

夜:毎日通っている 豆花

間:コーヒー・差し入れ

近所のコンビニと豆花屋に毎日同じ時間に行くので、1日でも行かないと心配されるようになった。私が行くと、何も注文していないのに店員がの豆乳豆花を作り始めるので嬉しいような、たまにはトッピング変えたいような、でもやっぱり嬉しい。「日本のどこから来たの」「いまから仕事なの」「今日は休み?」話す相手がいることがこんなに幸せなのかと。鍋貼、果物、サラダ、豆花。そして肌が荒れるまでがセット。台湾に来てから肌荒れが治らない。体重計に乗ってないけど確実に太ったと思う。

慣れてきた

最近ようやく楽しくなってきた。責任者が退職して先生が1人減ったので、私はその先生の学習者を引き継いで担当することになった。1日50分を8コマ。空き時間に授業準備は禁止なので結構キツイ。そして先生が1人休むと、その先生の持っている8コマを振り分けないといけないので大変なことになる。(=死んでも休めない)授業準備はコツをつかんできたので以前より時間がかからなくなったけれど「1人1人に一生懸命になりすぎるのは良くないよ。(キリがないからの意味)」と言われた。私もそう思うけど、そうもできないのが今の悩み。心の支えは毎月の給料と週1日の休日。食事へ行ったり、夜市へ行ったり、少しずつ余裕が出てきたのは良いこと。教授が国際交流基金の専門家の方を紹介してくれたので、相談にのっていただいている。ここにも書きたいことがあるけれど色々な事情で書けない。書けないようなことが日々起きている。無理。台湾へ来てから食生活の影響なのか分からないけれど肌荒れが治まらない。豆花を毎日食べているから、店員に「また来たのか」「飽きないのか」「他に何を食べているのか」と聞かれるようになった。私が行くと注文しなくても豆乳豆花を作り始めてくれるのが結構嬉しい。食べ物は胃に入れば何でもいいや。今は時間を作ることが最優先。中国語を聞き取れているのも嬉しいし、理解してくれるのも嬉しい。語学塾の先生も素敵な人で、楽しい。一人で海外に来て、一人で生きている人ってみんな優しいの何でだろう。楽しいけれど生きることの過酷さにひれ伏す。