kiroku

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日々の記録

タイのクリスマス

銀行口座開設。

11月上旬、スタバは既にクリスマス一色。タイにはクリスマスは無いと聞いていたけれど、バンコクにはクリスマスがあるらしい。日本はもうすっかり冬だと聞いて少し羨ましいというか、冬が恋しいというか。銀行に入るとクリスマスを意識してツリーが。しかも飾ってあるのは本物のお札という。良き。

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そして、タイのバスに乗ってみた話。これがすごく楽しかった。床は板製、もちろん運転は荒くて、立っていられないんじゃないかと思うくらいだった。白の制服にサングラスをかけたファンキーな雰囲気の職員が集金するシステム。まるで「ハリーポッターとアズカバンの囚人」の一場面みたいな。帰りに窓際に乗っていた少年が笑顔で手を振ってくれたのが嬉しかったので、幸せな体験として保存しておくことにした。

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タイに来てからずっと食べたかった美味しいパンを買いに。同期隊員が見つけてくれて同期隊員が連れて行ってくれた。(まだ土地感覚がレベル1)バンコクの静かな通りにあるお店。東南アジアの国に売っているローカルなパンって美味しくないイメージだったけど、ここは日本のパン屋さんと変わらない味。値段も高くないし普通に美味しかった。バンコクにいる間にもう一回行けたらいいなぁ。

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最後に最近のこと。ホテルで名前も国籍も知らない人と話をしたり、語学学校へ通ったり。完全な直接法で外国語を学ぶのは初めてだから、それだけでも毎日ワクワク。時間の使い方や伝え方、配布物や進め方、すごく勉強になるし、せっかくタイに来ているからタイ語で会話できるように頑張らないと。

あっという間に過ぎて行く日々こそ大切に!

タイに到着

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街に出てすぐに香ってくるハーブのような酸っぱい香りに、「あータイにいるんだなぁ」と。レモングラスパクチーの混ざった香り。約2年半コロナで海外へ行けなかったので、自分が海外にいるのも不思議な感じ。羽田もタイも空港はガラガラ、もちろん機内も。youtubeの広告やtwitterのトレンドがタイ語に変わり、iPhoneのカメラもシャッター音が鳴らなくなり、QOL向上の予感。今はハネムーン期で楽しくても、必ずショック期がくる…。

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隔離のために2日間滞在するホテルも快適。タイ語のリスニング勉強になるかなとテレビをつけて通販番組を視聴。美白が正義な社会っぽい。30分くらい流して台湾のニュースに変えた。気づいてはいたけど、中国語、頭から口に出すまでの時間が長くなっていて本当にヤバい。意識して訓練しないと帰国する頃には話せなくなりそうなレベル。毎日Podcastを聞こうという誓いをたてた。

そして今日は、来週から始まる語学学校のプレースメントテスト。と言っても10分。されど10分。とても優しそうな先生だったので少しほっとした。緊張して言葉がうまく出なかったのは、まだ全然定着していない証拠。(本当に200時間も勉強したのかよと思われてそうで怖い)学習者の立場に立つことの大切さを再確認。先生がニコニコしていること、話を理解しようとしてくれること、一つ一つに学習者は安心する。中国語に引っ張られているタイ語も、帰国する頃にはうまく分解されていますように。

そういえば、今朝とても天気がよかったので外に出てみようと鍵を探していたら注意書きを発見。タイはデング熱が多いそうなので気をつけなきゃ…と思うけど、2年もいれば10回くらい刺されるんじゃないの?知らんけど。日差しは台湾ほど強くなさそうだけど蒸し暑そう。日焼け止め塗りまくろう。
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海外生活は初めてではないけれど、誰かと一緒に渡航したり、同じ時間軸で生活するのは初めてだから難しさもある。会社とかではない集団の中の私みたいな?自由の中の難しさみたいな…。この2年が終わったら、また台湾の頃のような生活をしたいなぁ。と思ってる自分が怖い。

渡航ブルーとか。

タイへの渡航を目前に渡航ブルー期間に入った(多分すぐに抜ける)。

自力で就職先を探して「2度と日本には帰らない」と台湾へ渡った大学4年生の、あの時の行動力と希望を呼び戻したい。下手な英語と中国語で何校にも問い合わせたこと、海外就職に必要な証明書を「そのような前例がないから」と言って発行してくれない教務課に何度も交渉したこと。社会に出て初めて知る自分の無知さ、社会のジェンダーギャップ。「あ、いまの性差別だ」「私が男なら…」と思うことが増えていく日々。人生の選択をする時、いつも性別や年齢が足枷になる。

「人に甘えず自立したい」「強くなりたい」と言って地元を離れ、「私のことを知っている人がいない場所へ行きたい」「強くなるために厳しい環境に身を置かなければ」と言って海外に就職した。優しい人に囲まれて生きてきたけれど、” 自分のために行動してくれる誰かがいる環境 ”ではなく、” 自分で行動しなければ何も変えることができない環境 ”に飛び込まなければ私は変われない。若くて、無知で、無鉄砲だったけれど、そのおかげで今の私がいるのなら過去の選択は正しかったはず。

渡航ブルー、日本に帰国してからの生活が長すぎたかな。居心地が良すぎて心まで浸ってしまったような感覚。

近況、感情、鬱蒼。

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二十四節気では冬、霜降。午前中に雨、初時雨は冬支度の合図。

Twitterもブログも下書きばかりたまっていく…。Twitterなんて下書きが300もあって意味が分からない。

高千穂町で殺人事件と聞いてから、なんとなく落ち着かない。最近は殺人事件や悲しいニュースが多くて辛い。現実から目を逸らすまいと思いながら、耐えられずチャンネルを変えたり、切ったり。そういうのが以前より増えた。ブログにも社会的なことについて記していたけれど、最近は書いていない。他人の悲しみや辛さを自分と切り離して他人事として捉えることは生きていく上で必要な能力なのに、それが上手にできない。

楽しみという気持ちも無いまま渡航日が迫る。不安というわけでもなく、ただ、タイヘ行くことへの迷いが未だに拭えていないんだと思う。「行きたくて仕方がない」というより「もう決めたのだから行くしかない」に近い。羽田行きのチケットも買ったし行くしかないよね、ってそんな感じ。

日本に帰国してから今日まで、日本で過ごす時間が想像以上に長くなってしまったことで、心の耐性が低くなってしまったような気がする。早く感覚を思い出したい。

まとまりのないkirokuの最後に。もう会えない人が言ってくれた言葉「あなたが感じている幸せな環境は、あなたの人柄が作るのよ。どこへ行っても大丈夫。」って、急にまた聞きたくなった。幸せな1日の終わり、どうして怖くなって泣いてしまうんだろう。

 

 

夏が過ぎて遠ざかるもの

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「他人は他人、私は私。」そうやって割り切って生きていくことは大人になっても少し難しい。私が拒否を示したことで誰かを傷つけて、その傷によって他人の何かを変えてしまうことがあるのかもしれないから。けれど拒否しなければ、自分がさらに傷つくのだから仕方ないでしょう。誰だって自分が何より大切でしょう。そう考えていながら私は自分より誰かを優先することがあって、それが本当に良くないとも思う。自分のために生きることもできない人間が誰かの役に立つなんて綺麗事ではないかと。地理的距離が近くなれば逃れられない人間関係が増える。向き合うことしか選択できなければ、時に自分を優先しなければ、また傷つく。大切な何かと共に暮らすためには精神的自立が必要不可欠だと思う。私が一人で遠く離れて生きることを望むのは、精神的自立を確立したいからなんだとも。

昨日から急に冷え込んで夏が通り過ぎたみたいに突然、感傷的な季節が来た。渡航準備をしながら23kgの壁と戦っている。少しずつ実感が湧いてきたような気もする。海外で生活した経験はあるけれど、おそらく1度も帰国しないであろう2年は初めてだから、なんとなく寂しい。寂しさを紛らわすために2年後の約束をいくつか作っておいた。それ以外の心配事といえば、暑い気候が好きじゃないってこと。できれば寒い国へ行きたかったってこと。それ以外は特にない。日本に帰国してからセンシティブになってしまった心を切り替えて強く生きていかねば。

タイ語のCDを1日中流して生活していると耳障りに感じるようになっている気がして良くない。最近は小学生の時に買ってもらったラジカセを引っ張り出してラジオを聞きながら眠っている。塾から帰宅して日付が変わる頃にラジオを聴きながら寝落ちしていた中学生の頃を思い出して、なんとなく、思い出したくなかった記憶が溢れて辛かった。深夜に無音の中で消費する時間をいつか恋しく思うのかもしれない。それにしても、タイ語の音は深夜には不向き。

1日があっという間に終わっていく。とても幸せな1日の終わり、不安になって泣いてしまうのをやめたい。今日が人生で最後の幸せな1日だったら…。この人がいて感じる幸せの終わりが今日だったら…。そんなことを考えて泣いてしまう。子どもの頃からずっと変わらない。これからもずっと、幸せな日の終わりには必ず泣くのかなぁ。寒くなってきて感傷的になっているのかも。肌触りのいい毛布の心地良さすら気持ちを煽る。時間が止まればいいのに。絶対に止められないものや変わらないものに想いを馳せても無駄だと言わないで欲しい。

書き殴って、打ち込んで、見直しもせず。

秋のない四季

もう10月というのに日中は真夏のような日差し。連日の降灰で気分も最悪。会いたい人には会えないのに、そうじゃない人との予定ばかりできてしまう。

帰国してから敏感に感じる日本で生きるために必要な協調性のこと。「みんながやるときは一緒に」という価値観に同調できなくて、なんとなく日々に疲れている。選択肢があるように見えるけど自由は無い。中国でも台湾でも感じなかった息苦しさが常にある。海外の長期滞在から帰国した後の適応にはいつも苦しむ。何処へ行っても生きづらさは存在するけれど、日本で感じる生きづらさは私には重い。与えられた場所で生きろというけれど、生きやすい場所を自分に与えることができるのは自分自身なのに。中国や台湾で生活していた頃の自分が好き。日本にも大切な人がたくさんいるけれど、日本に暮らしたいとは思わない。大切な人に会いに来るくらいで十分だって思う。

気持ちが、とにかく重い。

キャリーを開いて服を詰めて、必要なものをメモして、その分だけ心も重くなっていく感覚。すでにモチベーションは0に近いし、タイへいく理由すら分からなくなってきている。「台湾に戻ってこない?一緒に働こう」と言ってくれたとき台湾へ行っていたら…。あの時とても幸せだったのに今の私は何なんだろう。大切な人の場所を埋めることはできても、仕事でしか埋まらない場所も絶対にある。

本棚を整理しても見つからない萩原朔太郎の詩集。鬱。どこへ行ったかな。

幸せとストレッサー

9月、体調不良。自室の片付けをしていると、つい本棚に手が伸びてしまって進まないのが悩み。ふと手に取った詩集の詩が刺さって抜けない。

ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

 

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを

近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし

 

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

 

自分の感受性くらい

自分で守れ   

ばかものよ

                      『自分の感受性くらい』茨木のり子

タイへの渡航日まで約1ヶ月というのに準備も進んでいない。怠惰。

最近感じた幸せについて記録しておく。まずは先日、スマホに乗り換えた祖母が慣れないながらも嬉しそうにスマホを操作している様子が愛おしく感じられること。そして昨日の十五夜、果物や月見団子を用意して中秋の名月を鑑賞。それから祖父のお墓参り。毎日を幸せな気持ちで過ごせることの幸せ。

SNSでの他人のやりとりの中に、無意識なのか相手を傷つけるようなメッセージを送っている人を見かけてモヤモヤするなど。求められていないのに割って入って発言して気持ちを掻き乱すような人にウンザリする。自分に対する脅威には敏感で、相手の気持ちは考慮できない人。相手の全てを知ろうとする人。知っているつもりでいる人。最近はそういうストレスが大きい。SNSに向いていない。

好きな人と、大切な人と過ごしたい。私を傷つける人にどうして親切にしないといけないの。どうして時間を割かないといけないの。使わないものは捨てる、合わない人とは離れる、暮らす土地だって変える。苦労はしないほうが良いし、何度だってやり直せるなんて綺麗事。高い感度と明確な価値観をもつ努力をして、自分のために自分で取捨選択して生きていかなきゃいけないでしょう。